映画公開の翌年に発売された桜井さんの小説が『サーフ・スプラッシュ』だ。桜井さんがこう語る。

「2人の17歳の女の子の文通でできた小説です。主人公の女の子は、どんなに自由に生きようと思っても抱えている家庭の問題で居場所が見つけられず、世間的には問題児でも軽やかに生きる友達の生き方に憧れます。でも17歳の繊細さで『私は余計な存在なんだ』と感じてしまい、最後に自殺をしてしまう。そんなビターな結末の話なんですが、アミにシンクロしてくれた結子ちゃんなら、きっとわかってくれるなと思って。それでぜひ結子ちゃんにお願いしたいと提案しました。快く『うれしい』と言って引き受けてくれて、私もうれしかった」(桜井さん)

 疎外感を募らせる主人公の境遇に自身を投影して、思うところがあったのか、竹内さんは解説文の中で、自身の複雑な家庭環境についてこうもつづっていた。

《帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギのかかった空間がいくつもあるような場所だった。足早に台所を通り過ぎる時、一人の人間として父が必要とした女の人が、彼女の子供たちのために食事の支度をしている。晩の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた。殺風景な自分の部屋でため息をつく。
 私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかったのだ。その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった。》

《私がもっと大人だったら、何でもうまくこなせたかもしれない。なじめない自分に対する嫌悪と、理由のよく分からない疎外感をいつも抱いていた。》
  
 この文章を見て、桜井さんはこんな感想を抱いたという。

「あまりにも素晴らしい文章で、驚きました。自分をスーパーの食品棚に並んだ缶詰に例えたり、義母を『お父さんが必要とした女の人』と表現したり。19歳で文章の訓練をしたわけでもないのに、作家とかエッセイスト以上の表現力と感じました。あまりにも正直に自分の辛い過去を書いてくれたので、私はすごく感動して、『ありがとう。こんなに飾らないで書いてくれることに、感動しました』と手紙を書きました」

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「17歳の彼女がどこかにいたのかもしれません」