「逆打ちは苦労して行くからありがたみがあると言われてきた。人に道を尋ねて進むことが遍路の本来の姿ともいわれる。だから人の優しさに出会えるのです」

 13年前の秋、香川県の高松総局に勤務していた記者は一念発起して、歩いて通し打ちをした。振り返ると、人生の谷間にいたり、区切りを迎えたりした人々が多くいた。道中に何かを見いだしたい、という祈りを持っていたように思う。

 そのときに出会った人たちとかわした何げない会話が深く心に染みこんでいる。

 妻を亡くした60代の歩き遍路の男性と、大雨で駆け込んだ高知の民宿で出会った。喪失感にさいなまれていたというが、歩くうちにこう思い至ったそうだ。

「自分が健康に暮らし、少しでも妻との思い出を生きて守る。それが、この世と妻の縁を長くつなげる自分の役目だ」

 カバンに妻の写真を入れ足首にテーピングをして、しっかりと歩いていた。

 60代のある夫婦の遍路とは愛媛の札所で会った。家の中をすっかり片付けて覚悟を決めた。

「二人で体の限界を感じながら、同じ苦労を改めてしたかった。不測の事態で戻れなくなってもいい」

 夫は糖尿病で、道中苦しくなることも。急な坂道を歩いているとき、見ず知らずの人に車の「お接待」に誘われた。乗せてもらったのに「乗ってくれてありがとう」と言われた。

「逃げずに進めば、誰かが見てくれている」
 と妻は思った。印刷所の営業マンの夫は、
「真心があれば裏切られることはない」
 と、長年仕事をしてようやく知ったことが再確認できた気がしたという。

 山河を巡る遍路道。先を急げば足を痛める。路傍のこけむした石仏、行き倒れて死んだ遍路の古い墓が見つめている。野宿をして星空を眺め、虫や動物の亡骸をみて生命のはかなさを知った。

 こうした出会いを重ね、
「人生で何が大切なのか」
 と、私は確かめていたのかもしれない。

 当時35歳で、それまでの記者生活の半分以上が事件・事故担当だった。6年いた大阪社会部では汚職や詐欺、金融犯罪、調査報道の取材などに時間を費やした。激しい時期は、事件関係者に取材するため日付が変わるまで夜回りをし、午前3時すぎに他社の朝刊で特ダネを抜かれていないかを確認。朝6時には、出勤する捜査員らへの接触を狙ってタクシーに乗り込むという日々。

 協力するようなふりをして事件関係者に接近しては「取材にこう話した」と記事を書いて「背中から斬る」ようなこともした。もちろん家事や子育ては任せきり。何度取材してもうまく行かず、記事も載らず、ストレスで飲み続けて愚痴をこぼす日々もあった。

 すべて、社会に潜む「構造的不正の追及」のためと自分なりに思い込んだゆえだった。

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