香川県の88番大窪寺から1番へ戻って1周し、和歌山県の高野山へお礼参りをするまで1カ月半。がらにもないことだが、心から思った。

「生きていることはありがたい」

 それから愛媛県出身の早坂暁さん(故人)に取材する機会があった。テレビドラマ「夢千代日記」「花へんろ」や映画「空海」の脚本で知られる作家だ。

「遍路をすると、向日性の人間になる。いい方向へ考える精神状態になる」

 遍路道を歩いている人は悩みと正面から向かい合う。ふてくされても、誰も返事はしてくれない。夕方に寺に着いて拝んでいたら、ふと涙が出てきて、自分が悪かったと慟哭し、心のしこりが浄化されるのだ、と。

 空海は、民衆が何に悩み、迷っているか、その痛みや苦しさをどう和らげるのかということを考えていたという。

「まるで臨床医のような僧侶だった。歩きなさい、歩いて歩いて、祈りながら歩けば、あなたは悩みから解放される」と教えたそうだ。早坂さんは歩くことの自由を説き、こう語った。

「日本人は千年以上、この道を歩いて悩みを解消してきた。どの宗教も行き着くところは一緒だ」

 その話に強く共感した。「遍路に行く」と言うと、いぶかる人もあるかもしれないが、決してそれは現実逃避の場ではない。道中はまさに自問自答の繰り返しで、自分と向き合い続けるからだ。自然に身を委ね、汗をかき、偽りのない自分を見つめられる。

 人をあやめたり、だましたり。傷つけられたり、損をしたり。取材で接してきたそんな現実も森羅万象の一端であり、自分もまたそんな広大な世界の網目の小さな小さな一つでしかない。暴風雨の石鎚山で山頂近くの岩にしがみついていたとき、そうとしか思えなかった。眉をひそめるようなことが起きない世界を希求しながら、自分ができることは限られている。

 ただ、そうであっても自分は歩いていく。それでいいのだ、と。

 記者はまた、数年に一回、区切り打ちをしに四国へ出かけている。次回は高知市の31番札所・竹林寺からだ。このウイルス禍が落ちついたら、その次の社会で自分のすべき役割を、遍路の中に確かめに行きたい、と思っている。みなさんも疲れ果てた心を、四国で開放しませんか。(朝日新聞社会部・島俊彰)

週刊朝日  2020年6月12日号