地方都市の高松へ異動して、そんな目標を見失っていた。時間に余裕はできたが、家族への接し方も不器用なままで、不摂生も続いていた。四国はそのとき、うどんブーム。映画「UDON」が公開されてまもない頃で、朝うどん、昼うどん、夜うどん。飲んだ後には締めうどん、という炭水化物天国。心も体もだぶついた。

 そのせいだろう。杖を片手に歩く菅笠姿の歩き遍路の姿を見て、「行かなくては」とひかれた。

 体験記事を書きながら遍路に出ることを許され、1番霊山寺で初めて白装束に袖を通した。住職にこう言われ、送り出されたのを思い出す。

「『私の毎日は人のためになっているのか』ということを見つめたいのではないかな」

 2日目に山のふもとの駐車場にあったベンチで夜を明かし、満天の星空を見たとき、なるべく野宿をすることを決めた。室戸岬への海沿いの道は長かったが、どこまでも広く、青い海に何かが洗われる気分だった。汗だくになって登った山の上の空気はどこよりも澄んでいた。

 出会った市井の人々が、ふと語りだす。

 一緒に坂道を上がった遍路の女性が「自分のためではなく、他人のため、ほかのもののために祈ることができなくなったらだめだと思うの」とつぶやく。境内にいた老女は「自分を押し上げてくれるものがあるやろう。それが『おかげ』なんよ」と教えてくれた。

 なまりきった体で連日歩くのはきつい。リュックは12キロほどで筋肉痛、それから関節痛。足裏が腫れ、眠れぬ日も続いた。

 すると、「修行とはこつこつと積み重ねることです。草木も水を毎日きちんとあげなければ花は咲かないでしょう」という僧侶の言葉が腑に落ちた。

 愛媛まで来たとき、ある寺の法主に「遍路で何か変わりましたか」と尋ねられた。「焦りが薄れ、親切を感じたときに合掌することが増えたような気がする」と言うと、「心とは命です。心が備わって命が存在するのです」と説かれた。そのころには山登りもそれほど苦痛ではなくなっていた。体も軽くなり、少しずつだが自信を取り戻しつつあったのだろうと思う。

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