遍路は春と秋が人気のシーズン。季節の花々に癒やされる=香川県観音寺市
遍路は春と秋が人気のシーズン。季節の花々に癒やされる=香川県観音寺市
杖や菅笠などの遍路装束を身につけた筆者=香川県観音寺市
杖や菅笠などの遍路装束を身につけた筆者=香川県観音寺市
あちこちにあるこけむした石仏が時の流れを物語る=高知県土佐清水市
あちこちにあるこけむした石仏が時の流れを物語る=高知県土佐清水市
道しるべに山道の木に時々かかっている短冊=愛媛県内
道しるべに山道の木に時々かかっている短冊=愛媛県内

 あれから13年になる。生き方に迷った私が四国遍路に飛び出してから。今、新聞社のデスクとして東京で紙面作りに追われつつ、思い出されるのは、あの旅路のことである。空と海の青に包まれ、寺から寺へ、思うままに歩いた。コロナ禍後の、往来復活を願わずにはいられない。行く人の心を開く、それぞれの道筋。

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「遍路」は春の季語。四国霊場八十八カ所をうるう年に反時計回りに回ったら、ご利益は「3倍」になる。そんないわれから今年はお遍路さんが多くなる、とみられていた。花咲く季節に人々はめいめいの祈りを届けるはずだったが、新型コロナウイルスの影響でままならなくなった。

 弘法大師・空海ゆかりの寺88カ所を巡るのが四国遍路。一周の距離は1200キロともいわれる。かつて寺を巡った証しに、参拝者が納札を柱に打ち付けていたことから、寺を「札所」といい、参ることを「打つ」という。時計回りに順番に回ったら「順打ち」。逆なら「逆打ち」。一度で一周するのを「通し打ち」、時々訪れて少しずつ進んでいくのを「区切り打ち」という。

 年間10万から15万人ほどが巡礼に訪れているといわれ、近年はバスツアーが多い。特にうるう年の今年は旅行会社も「稼ぎ時」になるはずだったが、コロナ禍で、人気プランを手がける阪急交通社(本社・大阪市)は4月7日からしばらくの間、お遍路ツアーの中止を余儀なくされた。緊急事態宣言が全国に拡大され、四国八十八ケ所霊場会(香川県善通寺市)も5月10日まで、御朱印などを授ける納経所を閉鎖するよう各寺に求めた。

 参拝客が「9割は減った」と話すのは、徳島県阿南市の四国霊場第22番札所、平等寺の住職、谷口真梁さん(41)。「このような中で宗教、仏教にできることは人々の心に静けさをもたらすよう、祈る、行動する、指導することしかない」。コロナ禍による犠牲者供養のため竹灯籠でできた巨大な曼荼羅を二つ建立するべく、竹の切り出し作業を始めている。

 そもそも、うるう年に巡ると「ご利益が3倍」というのはこんな逸話からだ。

 むかしむかし、伊予の国(愛媛県)に豪農の衛門三郎という人がいた。四国を巡り托鉢中の僧を門前で追い返す非礼を重ねた。

 すると、その後自分の子どもらが次々と死んでいくではないか。その僧が弘法大師だったことを知った三郎は、わびるために後を追うが、何度巡っても会うことができない。そこで逆回りで歩いてみるのだが、12番札所の焼山寺のふもとで倒れてしまう。

 そこへ弘法大師が現れる。わびる三郎から、生まれ変わりたい、という願いを聞き入れ、手に石を握らせる。三郎は人のために生きると誓って息を引き取る。後年、伊予の国の領主の家に、石を手にした子が生まれる。51番の石手寺(松山市)にはそれと伝わる石が残る。

 三郎が遍路道を逆に回って、弘法大師に会えたのがうるう年だったとの説があり、その年の逆打ちはご利益が大きいというわけだ。

 コロナ禍で春の参拝はままならなくなったが、お遍路はそもそも病気や厄災と無縁ではない。

「衛門三郎の伝説は、生まれ変わるという『死と再生』の話でもある」

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