84歳から14年加えるこの時間は僕には想像がつきません。今、死んだら、セトウチさんの14年を経験しないで終わることになるからです。ですから僕にとって未知の時間です。神様が「お前にも14年の寿命を与えることを約束してやろう」なんて言われれば、14年の計画を立てられます。だけど寿命がわからず計画の立てようがないので、ラテン系みたいに、その日暮らしで「へへのんきだね」と生きるしかないのです。

 セトウチさんは84歳から98歳までの14年間を「へへのんきだね」と生きられたわけではないですよね。どんな風に生きられました? 僕の知っている範囲では「来年こそは仕事を断って遊ぶわよ」と、嘘ばっかりで、実際は「ああ忙しい、忙しい」ばかりでしたよ。また、90歳になった頃から、「早く死にたいわよ」ばっかりが口ぐせです。この往復書簡にも、そんな嘆き節が毎回のように書かれていますが、セトウチさんの死ぬのを待っている人はいません。いるとすれば新聞社が訃報(ふほう)記事を書かなきゃと待っているぐらいですが、それも当てがはずれて、書いた原稿もどっかに置き忘れて、今は誰も思わなくなりました。だから、「私は死なないみたい」と宇野千代さんみたいに言って下さい。僕のエッセイ集に「死なないつもり」という本があります。この本の題名だって、もうひとつ意味がよくわかりません。まあ、結局わからないで生きているんでしょうね。

■瀬戸内寂聴「こうなれば100歳まで生きてやろう!!」

 ヨコオさんへ

 まさか98歳の誕生日に、こんな便りを書けるとは、夢にも思いませんでした。早く死にたいと口ぐせのように言いはじめてから、何年になるでしょう。

 うちの家族は、両親と姉一人でしたが、みんな早々と死んでいます。母は防空壕(ごう)から出ないで、自殺したのが51歳でした。父はそれを助けられなかったのを苦に病んで、五十代で跡を追いました。姉はガンで六十過ぎに死にました。

 私も家族にならって、そうは長生きすまいと思っていたのに、98歳、数えならば99歳まで生きようとは、夢にも思っていませんでした。

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