何という因果なことでしょう。数え99歳といえば、白寿のお祝いの歳ですよ。まさかねえ、こんな長寿とは考えたこともなかったです。好き放題なことをして、生きてきたので、この世に思い残すことは一切ありません。歳をとった証拠に、体の節々が痛くなって、気をゆるめると、腰が曲がりかけているので、ドキッとします。

 早く死にたいなど口ぐせにしたら、コロナで死ぬかもしれないです。コロナも死ぬ時はとても痛いそうだから(どこが痛いのかな)それで死にたくはありませんね。

 今朝から私の98歳の誕生日を忘れないで、お祝いの花や贈り物が、次々運ばれてきて、スタッフは、大忙しです。

 私は毎年、いただくばかりで、その送り主のお誕生日を覚えていないことを思うと、ちぢむ思いがします。この一年、生きのびて、何をしてきたかと思うと、寂庵の行事はほとんどお休みで、法話もしていないし、人にも逢(あ)っていないし、人のためになることは一切していないようです。

 本は、二、三冊出ていても、さほど、自慢になる本でもありません。この歳で、文芸雑誌に連載しているのは珍しいと、感心してくれましたが、新潮と群像の編集者が、相談して、1カ月ごとに交換しようと決めてくれたのを、自分自身は、まだ書けるのにと、不満たらたらなのも、どうかと思われます。

「私は死なないような気がする」

 とおっしゃったら、すぐ亡くなった宇野千代さんの例もあるので、真似(まね)をして、何時も口癖にそれを繰り返していますが、一向に私には効きません。やはり「真似」はダメなんですかね。

 城崎温泉行のことは、私もくっきり覚えています。宿で朝食のあと、「ぜんざい」を要求したヨコオさんの甘いもの好きにびっくりしたことも、その後、朝の散歩に出た通りすがりの店で、また、ぜんざいを食べたヨコオさんに、更にびっくりしたことも、ありありと覚えています。

 百年近く生きてきても、決して忘れない想い出というのは、数えられる程しかないものですね。

 あれから、二、三度、あの温泉へ行ったのに、さっぱり、その記憶はなくて、ヨコオさんと行った時のことしか想いださないのが不思議です。

 そうそう、宝塚へも一緒に行きましたね。その頃、ヨコオさんは宝塚に凝っていて、宝塚の仕事にも積極的だったころで、一緒に行くと、ヨコオ王様の一行のようなもてなしを受けました。

 また温泉や宝塚に一緒に行きたいものですね、でも98にもなった今では、ムリかな? こうなれば100歳まで生きてやろう!!

週刊朝日  2020年5月29日号