「検察では、検事総長が後任を決めてから辞めるのが不文律。稲田氏は、名古屋高検検事長の林真琴氏を後任に考えていた。ところが、官邸が黒川氏の就任にこだわった。これで検察のメンツが潰されてしまった」
ただ、黒川氏の検事総長就任には一つの問題があった。現行の検察庁法では、検事長の定年は63歳。黒川氏は今年2月8日が63歳の誕生日で、稲田氏の退任前に定年を迎えてしまう。そこで法務省は、稲田氏に昨年末で検事総長を退任するよう説得したが、稲田氏は拒否したという。
年が明けた1月15日、官邸と検察の対立は決定的となった。昨年7月の参院選で違法な報酬を支払ったとして、自民党の河井前法相夫妻の事務所などを、広島地検が家宅捜索したのだ。
官邸も応戦する。1月末には国家公務員法を特別公務員の検察官に当てはめるという強引な解釈で、誕生日前に黒川氏の半年間の定年延長を閣議決定したのだ。
安倍政権は、各省庁の幹部人事に介入し、官邸への忠誠心を高めてきた。政権の意向に沿わない者は冷遇し、従順な者を重用する。森友学園問題で公文書改ざんに関わった財務省職員が、その後出世したことが象徴的な例だ。官邸は、この状況をどう見ているのか。
「黒川さんを検事総長にしたいのは、菅義偉官房長官の考えだった。守護神として政権を支えたことに報いたいのでしょう。安倍首相は『黒川さんのことはあまり知らないんだよ』と自分は関係ないとアピールしている」(内閣官房関係者)
今国会での成立が見送られた今、次の焦点は検察が河井夫妻の捜査にどこまで踏み込むかだ。
「河井夫妻からカネをもらったと認めた広島の県議や市議は10人以上おり、捜査は着々と進んでいる。国会開会中の逮捕許諾請求もあり得る」(捜査関係者)
前法相が刑事責任を問われるとなると、政権への打撃も避けられない。
検察次第で捜査は河井夫妻以外に及ぶ可能性もある。広島の政界関係者や選挙運動員に配られた選挙資金の原資1億5千万円は、自民党から支出されているからだ。ある広島県議は言う。
「家宅捜索で、政治家から多額の現金が出たという話もある。河井夫妻は、選挙活動でのチラシ配布などでもかなりのカネを使っている。今後のポイントは、安倍首相が党本部を通じて出したとされる1億5千万円に、検察が切り込むかだ」
二つの権力の衝突は、現在でも着地点が見えないままだ。前出の検事長経験がある弁護士は言う。
「検察と官邸の暗闘は、まだ続くだろう」
(本誌・西岡千史/今西憲之)
※週刊朝日 2020年5月29日号に加筆