坂本:ある意味、象徴的なところですもんね、あそこに住むということは(笑)。

林:「木は森に隠せ」という感じでね(笑)。ところで坂本さん、最初はSMAPだったって本当ですか。

坂本:ハハハ、よくご存じですね。

林:詳しい人が「実は坂本さん、最初SMAPのメンバーだったのよ」って。

坂本:正式メンバーではないと思うんですけど、新しいグループをつくったときに、ジャニーさんは試しにいろんな子を入れて雑誌に載せるということをやっていて、僕、「SMAPの取材があるから」って言われて行ったんです。そしたらSMAPのメンバーとTOKIOの国分太一君がいて、僕もそこに入って、それがたしか初めてのSMAPの雑誌取材だったと思うんです。

林:へぇ~、そうなんですか。それは坂本さんがまだぜんぜん売れてないころですよね。

坂本:そうです。Jr.として入って間もないころです。あとから聞いたんですけど、たまたま誰かが修学旅行か何かでいなくて、そこの穴埋めというか、そんな感じで入ったらしいんです。そのまま僕と太一は抜けて、SMAPというグループができてデビューしたんです。

林:坂本さんはそのままJr.で残ったんですか。

坂本:そのあとJr.で残って、光GENJIのバックをやって、それからずっとバックダンサーの時代がありました。

※本対談は3月末に実施。対談後、坂本昌行さんが出演予定だった舞台「THE BOY FROM OZ」の全公演中止が決定した。

>>【後編/V6坂本昌行が目にした“成績表”とは?「ジャニーさん、よくデビューさせたな」】へ続く

(構成/本誌・松岡かすみ、編集協力/一木俊雄)

週刊朝日  2020年4月24日号より抜粋