「子ども時代に僕の小説を読んでくれた世代が、表現する側にさしかかっている。彼らを通じて、僕の何かが残るのかもしれない。作品を残すことは、ひこばえを信じることだよね」

「ひこばえ」とは、木の切り株から若い芽が生えてくること。命は、作品は、言葉は、次の世代へと手渡されてゆく、そう信じている。

 2018年6月から19年9月にかけて、朝日新聞で連載された長編小説『ひこばえ』は、16年に、自身に起きたいくつかの「節目」から生まれた物語だ。

 ひとつは1月に父親を亡くしたこと。反発していた時期もあった。亡くなったと聞いて、故郷の岡山に急ぎ戻った。その移動中、喪失感ではなく、充実感のようなものが広がったという。

「おやじはここにいる、自分の体の中にいる、という不思議な感じがしたんだ。死んだおやじとの新しい関係が生まれた」

 そして、4月から早稲田大学教授になり、学生との付き合いが始まった。もう若くはないと痛感する出来事がもう一つ。夏に初めての入院を経験した。心房細動と診断を受け、カテーテル治療を受けた。月に1度の病院通いは今も続く。

 そんな時期に構想を始めたのが『ひこばえ』だった。人が死ぬというのは、果たしてどういうことなのか。

「心にぽっかり穴のあいたような気持ち、とよく言う。その穴はあいたままでいい、無理に埋めなくていい、とおやじが死んで思うようになった。不在という存在とともに生きていく感じがするから」

『ひこばえ』のゲラ作業をしていた2020年1月、長く親交のあった坪内祐三さんの訃報が届いた。

「ふいにいなくなってしまった。でも、坪内さんがいないという存在感は強くあったんだよね」

『ひこばえ』の主人公、洋一郎は、父の記憶がおぼろげだ。48年間、音信不通だった、顔の見えない父親。生前に交流のあった、様々な登場人物が語る父親像から、洋一郎は「不在の存在感」を自分のなかで作り上げてゆく。

 たとえば父親が一人暮らしをしていたアパートの大家、川端さん。自分史を託されていたライターの真知子さん。昔の仕事仲間でトラック運転手の神田さん。父と一時期生活していたスナックのママ、小雪さん。お父さん、あいつ、石井さん、ノブさん、シンちゃん。呼び方が増えるたびに、父親の別の顔が見えてくる。断片のような像を重ねて浮かび上がった顔は、現実とは違うかもしれない。それでいい。「思い出は身勝手なものでいい」。小雪さんは主人公にこう言う。

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