「洋一郎は父を知り、息子であることを受け入れてゆく。洋一郎の母親は、夫について子どもたちに語ることでお母さんをやり直す。人間関係は単にそこにあるのではなくて、タグ付けするようにつなげて、できてゆくものかもしれない」

 人間関係、とりわけ、父親と息子の関係を描いてきた。2002年の『流星ワゴン』は、不仲だった父が同い年だったら、友達になれただろうかと問う物語だった。2008年の『とんび』は母親を亡くした幼い息子と、不器用な父親を描いた。『ひこばえ』にわたる、父親と息子を描いた3作で共通するのは、主人公の世代だ。執筆していたそのときどきの自身の年齢が主人公に与えられている。

「自分にとって切実な問題を書いてきた。そのときに自分が何歳であるか、どんな立場だったかは小説に反映されている。どれも途切れた関係を結び直そうとしている。人間関係に関心があるんだろうね」

 大学卒業後、角川書店で編集者になるも11カ月で退職。直木賞作家になったあともフリーライターとして活躍していた。無署名やペンネームの原稿もたくさん書いたという。田村章名義での、週刊誌「女性自身」の連載「シリーズ人間」は高く評価されている。

「小説家になる前、一人の人物を長い枚数でしっかり書くということを毎週やっていた。力になったよね。小説の登場人物も、その人らしいふるまい、ディテールを見つけることが楽しい。演出をつけているんだと思う」

 小説の主題は、団地、定年、リストラ、自殺、死別、と幅広いが、その名をベストセラー作家にしたのは、子どものいじめを題材とした作品群だろう。初期の代表作『ナイフ』から、吉川英治文学賞を受けた『十字架』、近作の『木曜日の子ども』まで、社会から切断されそうな子どもの心の奥へ言葉を差し出す。そして、子どもの周りで迷い、戸惑う親の背中にそっと手をあてる。

「その時々の自分にとって、一番大切なものを書いてきた。昔の正しい意味での風俗小説、中間小説なんじゃないかな」

 結果として、社会派と言われるのも、週刊誌でライターをしてきた経験が大きいという。

 2011年の東日本大震災以降、ルポルタージュやテレビ、ラジオの取材で被災地に通い続けている。2月には宮城県山元町を訪ねた。1泊2日の旅には忘れられない出会いがあった。

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