加藤登紀子という歌手の進む道が見えた「ほろ酔いコンサート」は、今も続いている。今年は全国8カ所で9公演を開く。

 ふたつのコンサートで目の当たりにした「同じ時代をいっしょに生きている人たち」に向かって、彼女は歌い続ける決心をした。

「人生って、いろんな場面で決断を求められるわけだけど、それぞれは一瞬のことよね。出産や結婚を決めたときもそうだった。やだわ、こんな昔話をするつもりはなかったのに(笑)」

 加藤さんが結婚した藤本敏夫氏は、全学連の委員長も務めた学生運動の闘士。東大の卒業式の日、式をボイコットする学生たちの座り込みに参加したことをきっかけに、ひかれていった。

「実刑判決を受けて刑務所に行った頃は、彼はもう学生運動に見切りをつけて離脱していたの。収監されて2週間後ぐらいに、赤ちゃんができていることがわかった」。悩みながら医者に相談したら、「わりとあっさり」産んだほうがいいですよ、という助言を受けた。不意に背中を押された気がした。

「そうよね、産んだほうがいいわよねって決断して、その途端に涙がボロボロ流れたのを覚えてる。刑務所の面会室で、結婚することを確認しました。その日は、自分は世界でいちばん幸せな女だと思ったわ。あとから彼は『看守の前で営んだ官前結婚式だ』って面白がってたわね」

 結婚した72年の暮れに長女、75年に次女(歌手Yaeさん)、80年に三女が生まれる。

 藤本氏はやがて「大地を守る会」を設立し、有機農業の普及と実践に尽力した。81年には千葉県鴨川市に移住し、ほどなく「鴨川自然王国」を設立する。

「彼が鴨川に行くちょっと前も、ひと悶着(もんちゃく)あったのよね。私が鴨川に行くかどうかで。歌手をやっていこうと思ったら、東京を離れるのは難しい。でも彼は『家族はいっしょに暮らすものだ』という信念を曲げない。わりとガチガチなタイプだったの。半年ぐらいはいつ離婚してもおかしくなかったんだけど」

次のページ