従って、家には父や弟子たちの覗(のぞ)くキングや講談雑誌と、母の定期購読する婦人雑誌しかありません。堅い表紙のついた「本」など、一冊もありませんでした。字を早く覚えたので、父の弟子たちの読み古した講談本や、大人の小説を読みふけっていましたよ。

 五歳年長の姉の小学校の担任の先生が姉をごひいきで、家にもよく呼んでくれ、私は必ずその後にくっついて、先生の家に行きました。

 その家の二階の、先生の部屋の壁一杯に本が並んでいてびっくりしました。世界の小説の名作を訳もわからず、借りたその本を読みふけりました。

 徳島の殿様だった蜂須賀さんのゆかりの図書館が、公園にあり、そこで本を読むことを、小学生になった頃から覚え、ずいぶん利用しました。姉が読書好きだったので、その影響を受けて、読書好きになったと思います。

 けれども、世の中に恋愛があると知ったのは、読書のおかげではなく、物心ついた時から聞いていた人形浄瑠璃のことばからでした。

 子供の頃、徳島では、「箱廻し」と呼ばれる人形遣いが町を廻り、肩にかついだつづらを二つ並べ、そこに渡した横棒に、つづらの中の木偶(でく)人形を掛け、口三味線をひとりでかたり、人形を舞わし、見物に集まった子供たちは、一銭で飴(あめ)を貰(もら)い、その浄瑠璃を聞き覚えたものでした。

 ヨコオさんと、私の子供の頃の読書歴史は、似たようなものですね。およそ本に縁のない家に育った私たちが、長じて、日本の文化にそれぞれの花を咲かせているのも不思議なものですね。

 さて、私も老衰で体が不自由になり、全く外へ出かけなくなりました。昔はあんな速く脚が丈夫で、よく歩いたのに。まあ、満九十七歳まで生きたら、この程度でしょうがないでしょうね。

週刊朝日  2019年11月22日号