「なんで、こんな絵になってしもたんやろ」と思える絵の方がいい絵なんです。言葉で説明するような意味があったり、目的のある絵はショーモナイ絵が多いです。絵は感覚を肉体表現したもので、この辺は文学とは違いますね。文学者は文学者になるように、画家は画家になるような生い立ちを経験しているように思います。

 もし子供の頃から読書家だったら、僕はおそらく画家にはならなかったと思います。何が一番好きかというと、やっぱり絵で、何が一番嫌いかというと本だったです。わが家には水谷準の探偵小説が一冊だけありましたが、その本の挿絵はよく見たけれど、読んだことはなかったですね。

 その点、セトウチさんは子供の頃から本漬けの生活でしょう? ああ怖! だけど僕の周囲の友人、知人は読書の虫、または作家的職業の人達ばかりです。そこが面白いですね。なぜですかね。

 まだ体調不十分で都心には出掛けていません。閉じ籠もりも悪くないですね。

 元々画家はアトリエに閉じ籠もって描くのが日常です。小説家も画家と同様孤独な商売ですよね。さあ今日もこのあとアトリエに閉じ籠もります。

■瀬戸内寂聴「世の中に恋愛があると知ったのは…」

 ヨコオさん

 あなたが本を読まない人種だなんて、私はダマサレませんよ。はじめてお宅に伺った時、あの応接間の客の座る背後の壁いっぱいにズラーッと並んでいた本、それも新刊書ばかりに、目をまるくしたのを、はっきり覚えています。

 今時のモノ書きで、こんなに新刊書を読む人、ゼッタイいないと、愕(おどろ)きで目を丸くしたものです。もし、あの三分の一くらいしか読んでいなくても、ヨコオさんは、それぞれの小説家より、ずっと読書家だと信じています。飽きっぽいから最後の頁(ページ)までは読まないでしょうけれど、あれだけ新刊書を並べるだけでも、大した愛書家だと尊敬します。

 うちの父は木工の職人で、当時義務教育だった小学校四年を卒業すると同時に、サヌキからトクシマの木工の親方の所へ住込み奉公に出されたので、本に縁遠く、私の生まれた時は、一ダースほどの住込み弟子のいる木工の親方になっていたので、およそ読書の習慣などありませんでした。母は代々庄屋の家の長女に生まれたので、昼間はいつも日当たりのいい部屋に寝そべって、貸本屋の持ってくる婦人雑誌ばかり読んでいたと、叔母がよく話していましたが、その程度の読書熱で、私がもの心ついた時からは、常に十人余りいた父の住込み弟子の面倒を見るのが精一杯(せいいっぱい)で、読書の時間などありませんでした。

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