


日本の医療崩壊が刻々と迫っている。過酷な長時間労働を強いられている医師も、そして患者も危険にさらされているのだ。危ない病院の見分け方と対処法をいまこそ知ろう。
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過酷な勤務の行き着く先が医師の過労死だ。
今年5月、長崎地裁は33歳の医師が14年に亡くなったのは過重労働が原因だったとして、勤務していた病院側に約1億6700万円を遺族に支払うよう命じた。判決では亡くなる2~6カ月前の時間外労働時間の平均が月177時間に達したことなどを認定した。
厚労省の資料によると、勤務医の約4割に当たる8万人が、過労死ライン(月平均80時間の時間外労働)を超えて働く。1割は過労死ラインの2倍超の状態だ。
「東京過労死を考える家族の会」代表の中原のり子さんは、「裁判などで明るみに出る過労死は氷山の一角に過ぎません」と言い切る。中原さんは、20年前に小児科医だった夫・利郎さん(享年44)を亡くしている。過労によるうつ病で自死し、労災認定された。いまだに変わらない医師の働き方に憤る。
「年間約100人もの医療従事者が、過労死や過労自殺に追い込まれていると言われています。労災を申請し認定されるのはごく一部で、ほとんどが私的な病気で片づけられてしまう。精神的な負担だけでなく、家族も同じ医療関係者が多いため、実情はなかなか公になりません」
利郎さんは1999年、当時の勤務先であった東京都中野区の病院の屋上から投身自殺した。利郎さんは、「少子化と経営効率のはざまで」と題した遺書を残している。そこでは、小児科の縮小・廃止などに触れている。
<小児科消滅の主因は、厚生省主導の医療費抑制政策による病院をとりまく経営環境の悪化と考えられます。生き残りをかけた病院は、経営効率の悪い小児科を切り捨てます>
亡くなる前に利郎さんは、上司の定年退職に伴い、小児科の部長代行を務めることになった。さらに2人の女性医師が退職し、それまで6人だった小児科の医師は利郎さんを含めて一時3人に減る。それまで月5~6回だった当直数は多い月で8回に増え、慢性的な睡眠不足状態だった。
<不眠・不整脈・視力の衰え、精神的にも、身体的にも限界を超えてしまいました>
中原さんは病院を相手に損害賠償請求訴訟を起こし、10年、最高裁で和解が成立した。和解条項では、「医師不足や医師の過重負担を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠」であることが確認された。だが、今もなお現場の勤務状況は変わっていない。
それどころか、研究や研修を名目に医師をただ働きさせる「無給医」が横行していた。
文部科学省は今年6月、大学病院で診療している教員以外の医師・歯科医師らを対象に調べたところ、給与がないものが全国50病院に2191人いたと発表した。調査対象に占める無給医の割合が高いところは、ただ働きが広まっていた可能性がある。