毎年、お盆とお正月は兵庫県内の実家に必ず、帰省していた幸恵さん。今年2月には連絡もせず急に実家に戻ってきた。

「何か特別な用事があるのではなく『顔を見に帰ってきたよ』という。昨年、妻を亡くして、一人暮らしになったので気にかけて帰ってきてくれたのでしょう。本当に優しい子でした」

 こう話す伸一さんの横には、幸恵さんが子供のころからずっと使っていた学習机が今もある。

「学習机、もっと早くに捨てるつもりだった。しかし、亡くなった妻が思い出だからとそのまま置いていた。この机で、一生懸命に描いていたんですよね」

 警察からの連絡を待つ不安な日々が続く。

「今年1月に着飾って成人式の写真をとったばかりだというのにね。むごい…」

 こう話す岡田和夫さん(69)の孫、大野萌さん(21)も安否不明だ。

 大野萌さんも京アニの社員。岡田さんは萌さんの両親からの連絡で事件を知った。居ても立っても居られず、事件当日の夕方、現場に駆け付けた。

「両親が京アニにいったら紙が貼りだされ『萌が行方不明者のリストに入っている』と悲痛な声で電話してきた。無理なことは承知だったが、現場で萌が探せないか、熱くてつらいんじゃないかと、電車に乗ってスタジオに行きました。現場が見えるところまで行くと、スタジオは焼け焦げ、無残な姿でした。萌は3階でキャラクターなどを描く作業をしていたそうです」

 その後も萌さんには安否はわからない。警察からの連絡で極めて厳しい状況であることと知った。萌さんがアニメの世界を目指すようになったのは、高校卒業してからだ。コンビニなどでアルバイトしながら、学費を稼ぎ、京アニの養成塾に入学。2年前に夢にまで見た、京アニで働き始めた。

「おじいちゃん、京アニで仕事できるようになった」と萌さんが伝えてきた言葉を、岡田さんは今も忘れられないという。最近では、京アニのアニメのエンドロールに名前も出るようになった。

「京アニに勤め始めたころは、なかなかうまく作品ができなかったこともあったようで、深夜まで机に向かっていましたよ。最近は、『もっともっと頑張って、エンドロールに大きく名前がのるようになりたい』と萌は話していた」

 岡田さんの妻、一二美さんもこう訴えた。

「事件前の13日には、ショッピングモールに一緒に行って、かき氷を食べたばかり。そしてお店で私に髪留めを買ってくれた。まだ髪につけられなくて…。子供のころから絵が大好きで子供のころから、折込チラシやレシートの裏など描けるものを見ると、すぐに鉛筆を走らせるほど絵が好きでした。今も小学校の時に描いてくれた作品があるのですよ。これを見ると、涙がもう止まらなくて…」

 無事であることを祈るばかりだ。(今西憲之)

※週刊朝日オンライン限定記事 

著者プロフィールを見る
今西憲之

今西憲之

大阪府生まれのジャーナリスト。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。「週刊朝日」記者歴は30年以上。政治、社会などを中心にジャンルを問わず広くニュースを発信する。

今西憲之の記事一覧はこちら