「京さんは何歳になっても、きれいにお化粧してピアスをしていた。部屋の中もコーディネートして清潔に優雅に暮らし、最後まで貴婦人でした」

 ただ、石井さんが演出した2006年の「女たちの忠臣蔵」以降は、表舞台に姿を見せなかった。

 昨年7月には歩くのが難しくなったことなどから、一人で東京・渋谷のケア付き高級マンションに引っ越した。部屋はそれまで住んでいた部屋の半分くらいの45平方メートルだが、食事のルームサービスが付き、医者が訪問し、看護師が常駐。

「今年3月には都内の病院に9日間、入院していました。肺と足の水を抜く治療をして、足の腫れは引いたんです。退院されてケアマンションに帰ったときにはみなさんから『お帰りなさい』と歓迎され、『ここでずーっと暮らしていたいの』と言ってました」

 再度、体調を崩したのは今年のゴールデンウィークに入ったころから。「物が食べられなくなり、好きなリンゴジュースを飲んでいたんですが、それも飲めなくなり、水だけになった。脱水症状になって呼吸も苦しくなり、言葉数も少なくなっていきました」

 渡辺さんは、京さんが亡くなる2日前の5月10日に石井さんに連絡を入れ、11日には石井さんが京さんのもとを訪れた。

「石井先生は1時間以上、京さんの手を握っていました。これまでの思い出が走馬灯のようによみがえったのでしょう。石井先生は、素のままの個人として矢野元子さん(京さんの本名)とわかちあえるものがあったんだと思います」

 京さんは石井さんを心待ちにしていたらしく、「ワンタン、ありがとう、うれしい」としみじみ語った。

 翌12日午前9時半、容体急変の知らせがあり、渡辺さんは駆けつけた。

「まだ体が温かかったけど、息があったのかどうかわかりません。ドクターもやってきて、午後0時18分、臨終となりました」

 京さんは生前、「延命治療はしないで」と、周囲に話していた。2日後の14日に荼毘(だび)にふされた後、赤坂近辺の和食料理店で、「石井先生たち、ごく親しい6人でお食事をして別れを惜しみました」。

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