「あわれ」は「ああ、はれ」であり、「ああ」も「はれ」も間投詞、感動詞として、驚いたときや感動したときに発する言葉なのです。

 つまり「あわれ」というのは、日頃、私が重要性を強調している「ときめき」を表現する言葉なのです。

ときめきこそが認知症予防につながるということは、すでに書きました(同年5月25日号)。

 では、そんなに広い意味の「あわれ」がなぜ、かなしみにつながる限定した意味に使われるようになったのでしょうか。

 それは、うれしいとか楽しいといった感動よりも、できない、かなわないといったかなしみに心を動かされるほうが、ずっと深いからだと宣長は説明しています。より深く感じる心の動きに対して、「あわれ」というようになったというわけです。

 もののあわれで思い起こすのが西行の歌です。

「願わくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの望月のころ」

 西行はこの歌の通りに臨終しました。まさに生と死の統合です。

 もののあわれを知る深い心は、生死を超えるものなのかもしれません。もののあわれを感じる心を深めていきたいものです。

週刊朝日  2019年5月31日号

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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