ファーストアルバムのとき、ちょうど「キャロル」が出てきて「俺たちに近いよね」と。ドラマーが一時キャロルにいたこともあって、「じゃあ俺たちはリーゼントにタキシードにしよう」となった。でもタキシードで夏のビアガーデンに出てるとね、汗でタキシードが塩昆布みたいになっちゃうんですよ。

 そんなときドラマーがアルバイトで使ったつなぎを「寝間着にしたら?」とくれた。それを着て夏の海辺のフェスに出たら、パーッと中学生の女の子たちが寄ってきて「お兄さん、カッコいいね!」って言うんです。「つなぎなんてカッコ悪いじゃん」と言ったら「カッコ悪いのが“カッコいい”んだよ」って。「おお!! そういうことか!」と。ちょうど住んでいた家の裏に作業服屋があったんです。店をのぞいたら「つなぎ 3500円」! 「これ、四つください!」って。だってタキシードは1着十何万円したんだから!(笑)

――75年、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒット。その後も作詞・阿木燿子&作曲・宇崎竜童のコンビで山口百恵を始め、多くのアーティストに曲を提供してきた。

 いまはメロディー先行で作っているから、自分でまず曲を書いて「ダメだな」と思ったら捨てる。そうやっていくと何曲かはたまるから、そのなかで「これは」と思うのを阿木に聴いてもらうわけです。そこでマル、バツ、三角の判定が出るんです。

 で、だいたいバツなんです(笑)。そりゃそうです。自分でもNGだと思ってるんだから! たいてい「ピンとこない」って言われちゃう。そうなると、その時点で俎上にのっけてもらえない。だからまた新しく書いて、阿木に聴いてもらう。最終的にマルをもらったら、そこからが阿木の仕事になるんです。あの人がOKって言わないものは、たいした曲じゃないんです。

 ときには「なんだよ~」って思うこともありますよ。でもよーく考えるとね、阿木はまともなことを言ってるんです。彼女は頭いいし、まっすぐだからね。僕のほうが簡単にブレちゃう人間なんで。そのまっすぐさを僕は信じている。

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