「得意のジャンプが決まらない場合、集中力が欠けているとジャッジに判断されることが多い。プログラム全体の盛り上がりにも欠けますから、PCSに反映されます。逆にすべて決まれば、モチベーションや集中力がものすごく高いわけです。そういう人が演技している姿には点数をあげたくなるというのが人情なわけです。生身の人間が(採点を)やる。そこがフィギュアスケートの非常に面白いところなんですよ」

 世界選手権の解説を行う本田武史さんも同じような意見だ。

「採点競技というのは芸術性について100人に聞いたら、100通りの答えが返ってくるかもしれない。だけどそれがフィギュアスケートの難しい部分であり、面白い部分だと思います」

 機械では把握できない部分が魅力であり、見るものの心に響くことが採点に影響する。

「それをもし機械が行うとすれば、選手もこなすだけの機械的な演技になってしまいそう」(本田さん)

 さらに、滑走順についても次のように語る。

「氷の状態など確かに滑りやすい順番はある。印象が変わるかもしれない。だけど、試合に合わせることが選手がやらなくてはいけないこと。抽選という運も実力のうちなのです」(同)

 振り返れば、バンクーバー五輪で、ジョニー・ウィアさんの得点の低さに会場はブーイングの嵐だった。1994年の世界選手権でフランス出身のスルヤ・ボナリーさんは銀メダルという結果に対し、表彰台に上がることを渋り、涙の抗議をしたこともあった。伊藤みどりさんは、カルガリー五輪で5種類の3回転ジャンプを着氷させたものの5位に終わった。難しいジャンプをクリーンに成功させれば高く評価される現在の採点法ならば、結果は変わっていたかもしれない。

 採点基準が変われば演技も変わる。“良い”演技とは何か。公平なジャッジとは。選手もファンも納得できる方向に進んでほしい。

(本誌・取材班)

※週刊朝日2019年3月29日号に加筆