鈴木おさむ、父を天国に見送り…初めて感じた長男としての責任 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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鈴木おさむ、父を天国に見送り…初めて感じた長男としての責任

連載「1970年生まれの団ジュニたちへ」

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鈴木おさむ週刊朝日#鈴木おさむ

鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中

鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中

※写真はイメージ (Getty Images)

※写真はイメージ (Getty Images)

 放送作家・鈴木おさむ氏の『週刊朝日』連載、『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は「父からバトンを受け継いだ長男の僕」。

*  *  *
 日本で長男として生まれた人たちは、どのくらい自分の「家」を意識して生きているのだろうか? 2月10日に父が亡くなりました。76歳でした。3年前に食道がんになり、ずっと闘病をしていました。医者からはもっと短い余命が宣告されていたのですが、いろいろな方のアシストと父の頑張りにより、それより1年半以上、頑張りました。

 千葉県南房総市の千倉町。房総半島は葡萄の房のようなので、僕は「房の先っぽ」と呼んでいますが、父はそこで生まれて自転車屋をやっていました。

 車で2時間ほどの場所で、父が病気になるまでは1年に1度か2度、実家に帰ればいいほうでしたが、息子を授かったこともあり、父が病気になってからは、時間のあるときはなるべく帰るようにしていました。

 昨年の10月に、緊急で病院に運ばれ、そこで「あと2カ月」と言われました。母はそのことを父に伝えなかったので、入院しても父は「すぐに治して帰る」と言ってました。

 結果、一度家に戻ってきましたし、2カ月と言われてからさらに2カ月生きたわけですから、「生きる」という気持ちは本当に命を延ばすんだなと感じました。

 正月は家で過ごせた父ですが、1月中旬に再び入院。「すぐに、また家に戻れるよ」と言ってたのですが、1月下旬、病院の先生が父に本当の体の状況を言わなきゃならない状態になりました。それを知り、ショックを受けていたようですが、それでも前向きな父。

 最後に父と会えたのは、父が亡くなる1週間前。妻と息子と行きました。

 帰りに僕と父だけになりました。胸が苦しく、少し動くのも大変だった父ですが、僕と二人きりになった途端に、力いっぱい体を動かし、背筋を伸ばして、僕の目を見て言いました。「今まで本当にありがとうございました」と。そして、「恵美子と、敦子とユウキとユウタと美幸と笑福をよろしくお願いいたします」と言って、目に涙を浮かべて頭を下げました。僕の母と姉、姉の子供二人と僕の妻と息子の名前を挙げて、頭を下げました。息子の僕に丁寧な言葉で頭を下げて、僕は「大丈夫だから。僕こそありがとう」と言うのが精いっぱいでした。そして「俺はあと何日かだと思うから」と言いました。


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