春に新倉富士浅間神社というところへいくと、この富士山を遠景にして、五重の塔と咲き誇る桜を画面に取り込んで、日本観光旅行の記念写真を撮ることが出来る。故国へ帰った彼らは、自分が訪れたばかりの日本として、その写真を友人たちに見せるのだ。渋谷のスクランブル交差点、そしてゴールデン街の酒場の写真などが、それに続く。

 こうした繁華街歩きや日本食を食べる、といった行動に関して、外国から来た人たちのじつに90パーセント近くもの人たちが満足した、という調査もあるそうだ。日本へ来て、日本人と接しないかぎり体験することのない、日本人に独特な、心のひだのごく小さな部分に彼らは触れ、自分たちには絶対にないそれに驚愕しつつも、たいそううれしかったのではないか。90パーセント近くもの人たちが満足した、という調査結果を肯定的にとらえるなら、こういうことでしかない、と僕は思う。

 そしてその日本人の心は、明治半ばまでには急速に消えていった、という外国人たちの書き残した記録がある。日本人の心、たとえば親切は、かろうじていまもまだ、外国からの人たちによって、体験されているのではないか。

 2020年に日本を訪れる外国からの観光客の数を、日本政府は4千万人と期待した。「ある時期、またはある業界、ある地域では減少することもきっとある。とくに訪日外国人相手のビジネスを考える場合、そのことを胸に刻み込んでおく必要がある」と著者は言う。外国からの観光客が減ったらどうするの、ということだ。日本人の一方的な思い込みの対極がおもてなしだとしたら、そのまさに反対側を、外国からの人たちは求めている。

週刊朝日  2019年2月22日号