ただ、出てくる歌手のみなさんはそうはいかない。生放送だし影響力も大きかったから、ベテランの人でも緊張してました。新人でやっと曲に恵まれたなんて子は、もうたいへん。1週間前からものが食べられなかったなんて言ってるし、手が冷たくなってるの。たくさんの大人たちの期待を背負ってるし、今日失敗したら田舎に帰されちゃうかもしれないってプレッシャーもある。

 やっぱりフォローしてあげたくなるわよね。背中をさすって、小さな声で「大丈夫よ、きっとうまくいくから」なんて言ってあげてました。順さんは平気でいじってたけど、まあそれも一種のやさしさよね。

 当時は、歌謡曲が面白い時代だった。あらゆる音楽が花開いて、ジュリーに百恵ちゃんにピンク・レディー、新しい子たちがいっぱい出てきたしね。作詞家も作曲家もプロデューサーも「プロ」がそろっていて、子どもからお年寄りまでみんなに愛される歌を世に送り出してた。歌番組にとっても、いい時代だったと思う。

――「夜ヒット」では、毎回趣向を凝らした衣装や髪形も注目を集めた。彼女が着た服が、翌日売り切れることも多かった。

 世の女性のみなさんに、オシャレする楽しさやファッションの魅力を伝えたいって気持ちは、ずっとありました。同じ人間でも、髪形やメイク、服やアクセサリーを変えると、ガラッと変われる。オシャレは七変化どころか何百変化なのよって。

 芸能界で初めてスタイリストをつけたのは、私だと思う。髪形とメイクもプロについてもらった。

 大胆な衣装が話題になることもあったみたいだけど、もともとモデルをしていたからどんな服を持ってこられても、なんとも思わない。モデルの仕事は、今日はこれだよって言われた服をいかに魅力的に着こなすか。夜ヒットでも毎回、限られた時間の中での真剣勝負だったわね。

 70年代後半から80年代は、いろんなブランドが世界中から入ってきて、日本の女性がいろんな服を着るようになった時期だった。ファッション業界がすごく元気で、新しいものを次々と取り入れようっていう雰囲気があったの。

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