そんな調子だから、女優という仕事には魅力を感じてなくて、マネジャーに「もうやめる」って言ったんです。大船撮影所からの帰りだったかな。そしたら、私名義の貯金通帳を渡されたの。開いてみたら、けっこうな金額が入ってる。マネジャーは「女優はモデルに比べて、ゼロがふたつぐらい多いんですけどね」って。けど、そんなことはどうでもよかった。

――66年、「小川宏ショー」の初代アシスタントが産休で降板することになり、後任に抜てきされた。

 1時間半の放送が、あっという間だった。「なんて楽しいの!」って、味わったことがないワクワク感を覚えたの。生放送で、コーナーごとにアップ・トゥ・デートな情報が次々と紹介される。どれも目を見張るように面白くて刺激的で、それにコメントしながら進めていく役割が自分にピッタリだと思ったのね。

 1回目の放送が終わって、今日この日を限りにほかの仕事は断ろうと決心しました。私は31歳。そろそろ、自分はこれから何をやっていくのかを考えなきゃいけない時期だった。

 実際、1カ月くらいで整理して、テレビやラジオのレギュラーを全部降りてるはずよ。NHK大河ドラマの準主役の話も来たけど、断っちゃった。かなり驚かれたけどね。でも、仕事をしていて楽しいと思えることが、いちばん大事だから。

 月曜から金曜まで、朝3時半に起きて局に行く生活はたいへんだったけど、おかげさまで視聴率もよかったみたい。あの番組が、その後の道を決めるきっかけになりましたね。

――「小川宏ショー」は1年半ほどで「疲れ果てて」卒業した。その半年後に、芳村の代名詞「夜のヒットスタジオ」がスタート。男性司会者は前田武彦、三波伸介、井上順、古舘伊知郎に代わりながら、芳村は20年にわたって1千回の司会を担当した。

 私、セリフや段取りを覚えるのが苦手だから、いつも台本を持ってやってたけど、それが安心感につながって、とっても気楽にできました。

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