「キャバレー+クラブ」か「キャンパス+クラブ」か。後者ならば、どうして「キャンクラ」にならなかったのか……。

 キャバクラという業態が生まれたのは、一般には1980年代前半といわれている。おそらく第1号は82(昭和57)年5月に東京の池袋東口にできた「New我我」だろう。

 同店を経営していた株式会社レジャラース(東京都豊島区)のウェブサイトにも、「キャバクラ事業部を設立した」との記述がある。84(昭和59)年5月には、同事業部の集大成として新宿歌舞伎町に「キャッツ」をオープンさせている。

 時代はキャバクラを待っていた。背景には、73(昭和48)年のオイルショックがあった。その後の不況が長引き、銀座や赤坂の高級店は衰退していった。温泉地でも、芸者より手軽なコンパニオンが人気を得ていく。格式や伝統に大衆が振り向かなくなったのである。

 近所にいるお姉さん風の素人っぽさが受ける時代。たしかにそのころのキャバクラの多くが、「ホステスは全員素人の女子大生」を売り文句に掲げて営業を展開していた。キャッチフレーズは「3回通えばデートもできる」。なるほど「キャンパス+クラブ」説が説得力を増してくるわけである。

 週刊朝日が女子大生モデル表紙を始めたのが80年。オールナイトフジの放送開始は83年。キャバクラの勃興期は、女子大生ブームとしっかり重なっている。そして85(昭和60)年、「キャバクラ」という言葉は「日本新語・流行語大賞」の表現賞に輝いた。めでたいことである。

 キャバクラは「疑似恋愛」を売りものに進化する。健康的で初々しい色気。ぎこちなくても全く問題ないのである。「もしかして……」と勝手な妄想を客に抱かせるのだ。もちろん性的サービスはNG。

 下着姿で接客する「ランジェリーパブ」や、セーラー服を着た「コスチュームパブ」など、キャバクラから派生した業態も出てきた。内容は詳しく書けないが、「セクシーダンス」というのを売りにした店も流行した。でも、キャバクラの妙味は、あくまでも男女のコミュニケーション。

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