若いころにレイ・チャールズやジミー・リードの大ファンだったボズ・スキャッグス
若いころにレイ・チャールズやジミー・リードの大ファンだったボズ・スキャッグス
『アウト・オブ・ザ・ブルース』(コンコード/ユニバーサル UCCO―1196)はボーナス・トラックを含め、計11曲
『アウト・オブ・ザ・ブルース』(コンコード/ユニバーサル UCCO―1196)はボーナス・トラックを含め、計11曲

 ボズ・スキャッグスが、自身の音楽的ルーツであるブルース、R&B/ソウルを追究した『アウト・オブ・ザ・ブルース』が発表された。これで、2013年の『メンフィス』、15年の『ア・フール・トゥ・ケア』と合わせ、ルーツ回帰をテーマにした3部作が完成した。本作は前2作をしのぐ出来栄えとして注目を集めている。

【アルバム『アウト・オブ・ザ・ブルース』のジャケットはこちら】

 ボズは米オハイオ州生まれの74歳。1976年に全米2位となったアルバム『シルク・ディグリーズ』が有名だ。同作からは4曲のヒット・シングルが生まれ、「ロウダウン」はグラミー賞の最優秀R&Bソング賞に選ばれた。AOR(アダルト・オリテンテッド・ロック)、アダルト・コンテンポラリー・ロックの先駆けとして、ブームを牽引してきた。

 ただ、『シルク・ディグリーズ』を出すまでは、サンフランシスコのローカル・ヒーローに過ぎなかった。

 音楽のキャリアを振り返ると、オハイオからオクラホマを経てテキサスに移り住んだ際、ハイ・スクールでスティーヴ・ミラーに出会う。大学時代に共に活動した後、スティーヴ・ミラー・バンドに参加。その一員としてデビュー後、ソロ活動を開始している。

 当時、ボズが取り組んでいたのはブルースやR&B/ソウル・ミュージックだった。60年代末に出した『ボズ・スキャッグス』は、デュアン・オールマンのサポートもあって、一部のファンには好意的に受け止められたが、大衆から名盤として認められたのは後年になってからだ。

 近年になってボズへの評価を新たにしたのは、ブルースやR&B/ソウル・ミュージックといった自身のルーツへの回帰をテーマにした3部作への取り組みだった。

 とくに最初のアルバム『メンフィス』は白眉だった。メンフィスで録音。オリジナルに加え、アル・グリーンやスティーリー・ダンの曲をカヴァーし、ソウル・ミュージックの継承者への敬意を表した。

 続く『ア・フール・トゥ・ケア』は、ナッシュヴィルでの録音で、スライド・ギターの名手ボニー・レイットとの共演も話題となったが、かつてボズが魅せられたニューオーリンズのR&Bへの愛着を明らかにする作品だった。

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小倉エージ

小倉エージ

小倉エージ(おぐら・えーじ)/1946年、神戸市生まれ。音楽評論家。洋邦問わずポピュラーミュージックに詳しい。69年URCレコードに勤務。音楽雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン(現・ミュージックマガジン)」の創刊にも携わった。文化庁の芸術祭、芸術選奨の審査員を担当

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