100回大会で100勝目目指す龍谷大平安 鉄人・衣笠を生んだ名門 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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100回大会で100勝目目指す龍谷大平安 鉄人・衣笠を生んだ名門

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名門を再建し、甲子園春夏通算100勝目を目指す龍谷大平安の原田英彦監督

名門を再建し、甲子園春夏通算100勝目を目指す龍谷大平安の原田英彦監督

今年4月に亡くなった衣笠祥雄さんも平安の選手として第46回大会に出場。100勝目を待ち望んでいたという (c)朝日新聞社

今年4月に亡くなった衣笠祥雄さんも平安の選手として第46回大会に出場。100勝目を待ち望んでいたという (c)朝日新聞社

第24回大会で優勝した平安中の選手たち (c)朝日新聞社

第24回大会で優勝した平安中の選手たち (c)朝日新聞社

「小学校時代からあこがれていました。中学時代には、平安の選手が利用するスポーツ屋さんで『平安が使(つこ)てるのと同じストッキングください』ゆうて喜んだり、学校の帰りに練習を見学したり。当時エースだった山根(一成)さんの練習ぶりを見て、『さすが平安のエースや』と感激しましたね。その山根さんが1年のとき、僕は西京極球場に応援に行ったんですが、京都商戦でリリーフに出て、ホームランを打たれて負けてしまったんです。自分のことのように悔しかったですね。だから、ファンの方の気持ちもよくわかるんです」

 もともと、再建を託され、社会人野球の日本新薬から監督となった当時、「こりゃ、立て直すのに大変やな」と思った。ユニホームの着方、道具への愛着、日常生活、どこにも凛としたものがない。細かいことまでうるさいくらいに諭し、口すっぱく平安の伝統を説いた。そんなん、野球強うなるのに関係ないやろ……とソッポを向かれても、根気よく生徒に納得させた。1年がたち、2年が過ぎ、3年目になるころ。多少は名門らしくなる。部室は整頓され、グラウンドはきれいに整備される。グラブやスパイクはつねに磨かれ、ユニホームの着こなしにも、それらしい格が宿ってきた。よし……というときの「土下座せぇ!」である。

 だが、その初戦負けはむしろ大きなロイター板となった。そのときのエースが、入学したばかりの大型左腕・川口知哉(オリックス)。その川口が最上級生になった97年には、17年ぶりの選抜でベスト8、夏は智弁和歌山に敗れはしたものの、41年ぶりの決勝進出を果たすのだ。そして2000年以降も夏は7回、春は7回、春夏通算74回の出場は全国トップだ。通算勝ち星99は歴代2位で、めっぽう強かった夏だけではなく、選抜制覇も成し遂げた。つまり古豪は、昭和後期の低迷から完全復活したといっていい。 12年には、京都市伏見区に龍谷大平安ボールパークという、素晴らしい専用グラウンドも完成した。第100回記念大会。龍谷大平安が区切りのいい100勝を記録し、さらに上積みしていくのにはふさわしい節目かもしれない。(楊順行)

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※「完全保存版夏の甲子園100回 故郷のヒーロー」から抜粋


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