メタボになった過去も 自身を「ヒヨッコ」と称す三浦雄一郎の半生 (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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メタボになった過去も 自身を「ヒヨッコ」と称す三浦雄一郎の半生

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三浦雄一郎(みうら・ゆういちろう)/1932年、青森県生まれ。富士山や世界7大陸最高峰からの滑降など、多くの冒険を成功させてきた。「実は末端冷え性で、極端な寒がり。おかげで山に行くときは、誰よりも慎重に準備を重ねます」(撮影/写真部・小原雄輝)

三浦雄一郎(みうら・ゆういちろう)/1932年、青森県生まれ。富士山や世界7大陸最高峰からの滑降など、多くの冒険を成功させてきた。「実は末端冷え性で、極端な寒がり。おかげで山に行くときは、誰よりも慎重に準備を重ねます」(撮影/写真部・小原雄輝)

 もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しもやり残したことや忘れられない夢があるのではないでしょうか。今回はプロスキーヤー・冒険家の三浦雄一郎さんが「もう一つの自分史」を語ります。

*  *  *
■次の山を目指してしまう 生きているのは運

 これまで、何度か死にそうになりました。ひとつ間違えれば、そこでおしまいの人生だったわけです。

 30代で直滑降の興奮に目覚めて、1970年にはエベレストから滑降しました。このときは、標高7千メートルのところで転倒して、斜面を何百メートルも滑り落ち、もう少し転がっていたら、クレバスに吸い込まれるところでした。もうダメだと思いましたけど、奇跡的に助かったんです。

 記録フィルムには、私が転がっている様子が写っています。それを元に、5年後にカナダで「エベレストを滑った男(The Man Who Skied Down Everest)」という映画ができ、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞を受賞しました。

 この歳まで生き延びることができているのは、ひとえに運です。神なのか仏なのか先祖の霊なのか、それはわかりませんが、自分の力ではない何か大きな力によって「与えられた命」という実感はありますね。

 新しいことに挑戦するときは、常に「今度は死ぬかもしれない」という気持ちでした。でも、死に対して「怖い」というイメージはありません。エベレストで転倒したときも、雪の上を転がりながら、「死ぬって、どういうことなんだろう。三途の川や極楽浄土は本当にあるのかな。また何かに生まれ変わるんだろうか」って好奇心が湧いてきたんです。つくづく「次の山」を目指してしまう性分なのかもしれません。

――20代後半は、妻とスキーでオリンピックに出るのが目標だった。

 結局、連盟ともめてアマチュアスキーの世界から追い出されちゃったけど。


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