──光進丸はいつ買ったか?

 自分で設計をして、自分でつくったので、買ったんじゃないんです。人生は試練がいろいろあると思う。こんなことでめげないで、本当にお詫びしながら、一歩一歩地に足をつけて歩いていきたい。

──光進丸に声をかけるとしたら。

 ありがとう。がんばってきたな。

 最後に加山は報道陣に一礼して去っていった。

 加山の会見後、レコード会社のドリーミュージック担当者が報道陣にこう説明した。

「加山が船に乗った最後は2週間前。ジャケットの撮影で2日間くらい乗りました。1月から16本のコンサートをやっていて、きのうは最終日。終わって午後9時くらい。沖縄の会場で南こうせつさんらと一緒に打ち上げをやっていた時だった。マネージャーから電話がかかってきて、事件を知った。 船は36年前、加山の誕生日の4月11日に進水式を行った。設計から全部、加山。船の中にはギター、カラオケセット、作曲ができる場所、冷蔵庫、調理器具などが揃っている。加山はそこで料理をして出すのが好きだった」

 加山は現在、奥さんと2人暮らしという。

「船で暮らしているわけではありませんよ。娘2人、息子2人がいますが、独立して別で暮らしている。近くにいる子どもは孫を連れてきたりしている。1人の娘さんはアメリカに行っている」

 掛け替えない相棒の炎上は加山にとってかなり大きな打撃だったようだ。
(本誌・上田耕司)

※週刊朝日オンライン限定記事

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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