玉木正之さん(多田敏男撮影)
玉木正之さん(多田敏男撮影)
神戸製鋼の7連覇を支えた平尾誠二(右)と大八木淳史=1995年 (c)朝日新聞社
神戸製鋼の7連覇を支えた平尾誠二(右)と大八木淳史=1995年 (c)朝日新聞社

 スポーツ評論の第一人者、玉木正之さんが「平成」を振り返って思い出深い人物の一人は、ラグビーの平尾誠二さん。1980年代から90年代にかけて日本選手権で7連覇を果たした神戸製鋼の立役者だ。2016年にがんのため53歳で亡くなった。親交が深かった玉木さんが明かす秘話とは……。

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 7連覇が始まるシーズン前、私は彼らの取材を始めることにしました。私は取材する時に、まずタイトルを決めてから取り組みます。取材するにあたって、つけたのが「またも負けたスター軍団」でした。林敏之、大八木淳史、平尾誠二、大西一平、綾城高志などと山ほど良い選手がいるのに勝てなかった。

 そこで、林、大八木、平尾の3人から取材をし始めました。そうしたら神戸製鋼の広報が、3人同時取材というやりにくいことをしまして(笑)。それでも思い切って林に「あなたがキャプテンやっているところは優勝できませんね。何か理由があると思いますか」って聞きました。林は黙ってじーっとしていて、顔を見たら泣いていた。あれは今でも覚えている。その後、平尾らのいる焼き鳥屋に行ったんですが、大八木も来て、「おいオッサン、何泣かしとんねん」って言われました。

 平尾とは亡くなるまで付き合いがありました。何度か酒も飲みに行きました。神戸のバーでシングルモルトのウイスキーをボトル2本空けたのが、今でも忘れられません。

 初優勝前の最初の取材で、平尾に「ラグビーは個人競技ですか? チーム競技ですか?」と聞いた。平尾は「今悩んでいるところ。それがテーマなんですわ」。つまり、ラグビーといえばチームプレー重視だと無条件に思い込まれていましたが、結局は個人で勝たないと勝つことができない。そこをどうやるのか。面白い男だなと思いました。

 平成になった直後の日本選手権で大東文化大学を破って優勝した翌朝、喫茶店で平尾を取材しました。試合で彼らの良い面がバンバン出て、皆が生き生きとプレーしていたのが印象的だったので、「神戸製鋼はどんなプレーを目指してやっているのか?」と問うたんです。平尾は「そんなのありまへん。ラグビーなんだから型にはめようとは思いません。こういう選手がいるならどういう作戦が立つか、は考えます」と答えました。

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