それにしても原稿を持って帰るのも一大事だったと、上村さんはいう。

「森井書店の方は、できれば早く持っていっていただければと。高価なものが店内にあるのでは落ち着かないようなので、妻の事務局長と2人で直接持って帰ることにしました。なにせ“原稿様”がいるので、はじめて東京─大阪でグリーン車に乗りました。私が窓際の席に座って原稿を抱えていたわけです。一睡もできず、トイレも行きませんでした。事務局長はぐっすり寝ていましたが」

 司馬さんのかつての担当者だった文藝春秋の和田宏さんは、『司馬遼太郎という人』(文春新書)のなかで、生原稿について書いている。文藝春秋の倉庫には、司馬さんがまだ若い時代に書いた小説の原稿が長く保存されていたが、1980年代後半になって返すことになった。司馬さんと相談し、各地の文学館に寄贈されたが、『十一番目の志士』だけが残った。和田さんがはじめて担当した小説で、司馬さんに相談したところ、

「そんなもん、いらんから和田君にあげるわ」

 といわれたそう。

 この原稿もいまは、司馬財団に里帰りしている。

 さて、どの程度高額なのかは、当たり前だが、森井書店も司馬財団も明らかにはしていない。

 記者はかつて『街道をゆく』の担当記者である。

「君はだらしがないので、原稿をなくすことだけが心配だ。もらったらすぐコピーしなさい」

 と、先輩にいわれた。

 当時、その原稿は編集部から書籍編集部に送られ、その後は近代文学館に寄贈されていた。つまり私の手元にはない。

 しかしどのくらい高価なものだったのだろう。はしたないが、森井さんに聞いてみた。

「今回の原稿はそれより数段高価であることはまちがいありませんが、『街道』もなかなかです。原稿1回分が16枚ぐらいだとして、まず数十万円にはなるでしょう」

 記者が担当した期間は約6年間で220余回になる。χ×220……と、つい計算してしまった。司馬先生、あなたはいろいろな意味で錬金術師でしたね。

週刊朝日 2017年8月18-25日号