銭湯からの受注は月2、3軒。昨年は東京都大田区役所の発案で蒲田に上陸した「シン・ゴジラ」を銭湯に描き、話題になった
銭湯からの受注は月2、3軒。昨年は東京都大田区役所の発案で蒲田に上陸した「シン・ゴジラ」を銭湯に描き、話題になった
師匠譲りの刷毛を使ったペンキ絵の描き方
師匠譲りの刷毛を使ったペンキ絵の描き方

 現役の「銭湯のペンキ絵師」は、全国で3人だけ。田中みずきさん(34)は、その最年少にして唯一の女性だ。

「銭湯は一年を通して利用するので、季節を限定しない絵でないといけない。でも、なんで風呂に入って富士山を見上げているだけでホッとするんでしょうね」

 東京都の調査では、都内の公衆浴場数は1988年に2043軒だったのが、2016年では602軒にまで減少した。

「最初は、師匠に『食べていけないから別に仕事を持ち、休日に見習いとしてなら』と言われました」

 田中さんがこの世界に入るきっかけは、学生時代にさかのぼる。大学で美術史を学び、卒業論文の課題に銭湯絵を選んだ。銭湯の絵は誰の依頼で描いていたのか……。ペンキ絵の歴史を調べていくうちに絵師の高齢化を知った。当時の職人は60代超で、後継者もいなかった。

「このまま消滅するのはもったいない」

 そんな思いで絵師の一人、中島盛夫さんに弟子入りを願い出た。平日は美術系の出版社に勤務し、土日に教わるなどしながら、9年間の修業を経て独立した。

 4月上旬のある日、田中さんが依頼されたのは、東京都江戸川区北小岩の「鶴の湯」だった。朝8時に仕事を開始し、通常夜9時前には撤収。翌日の午後には営業できるよう、定休日の限られた時間内が勝負だ。

 銭湯の天井近くには、大きな窓がある。浴室にこもった湯気で塗装が劣化するのを防ぐためらしいが、作業中は冬でも塗料の臭いが充満しないよう開け放たれ、冷気が吹き込む。

「銭湯の全盛期の昭和40年代には、富士山の絵の下にズラッと近所の病院やお店の広告が並んでいたんです。年1回の絵の描き替えも代理店もちだった」

 と話すのは鶴の湯の主人、中山光雄さんだ。つまり、ペンキ絵は単なる絵というよりは、スポンサーがつく「媒体」だったのだ。当時は、広告を扱う店に所属していた絵師も多かったそうだ。今はそうした代理店もなくなった。

「もともと束芋さんや福田美蘭さんといった現代美術が好きだったんです」

 田中さんがこの世界に入ったもう一つの理由は、「波しぶきの明るい色調やリズミカルな刷毛(はけ)さばき」に惹かれたから。青空は、脚立で天辺(てっぺん)まで登ってローラーでイッキに、山の裾に映える緑は、小さな刷毛で軽く何度も叩くようにして描く。富士山ばかりで飽きないのだろうか。

「書道家が字を書き続けるように、飽きることはないと思います。描いている瞬間は一度きりですから」

週刊朝日 2017年5月5-12日号