「『うちの母が台湾で大一貿易というバナナやパイナップルなどの青果物の会社をやっています。僕はそれを輸入する福光貿易という会社をやっています。それを大阪で引き受けてもらえませんか』と、誰の紹介もなしに本人が飛び込んできたのです」

 謝氏の母、すなわち蓮舫氏の祖母、陳杏村氏は1910年、台湾生まれの実業家。日本統治下の上海で英米のたばこを売り、成功した人物だ。

「陳杏村さんは女傑だったね。上海のたばこ会社の社長をやり、日本軍相手にたばこの製造販売で儲けたお礼にと、日本軍に戦闘機『杏村1号』『杏村2号』を寄付した。その戦闘機が中国軍をやっつけたので、戦後、中国で銃殺刑になりそうになったが、日本国籍だったので助かった。陳さんは台湾に戻って起業し、バナナ輸出で大成功したんだ」

 日本では国内のフルーツ保護を理由にバナナの輸入規制があったが、1963年になって輸入自由化したため、業者間の競争が激化した。蓮舫氏の祖母らは台湾バナナ輸出のため、日台の政治家を支援する政商として知られるようになる。

 謝氏の日本でのビジネスパートナーは、東京・永田町でバナナ輸入会社「砂田産業」を営んでいた砂田勝次郎氏。元防衛庁長官で、自民党総務会長などを歴任した重鎮、砂田重政氏の次男坊で実兄は砂田重民元文部相と政界に太いパイプがあった。
「勝次郎さんも自民党総務会長などを歴任した河野一郎さんの秘書で、農林省とはツーツー。兄の重民さんも大蔵省、通産省にパイプがあったんやね」

 砂田氏も前号で触れた三菱、住友、三井など旧財閥系企業の支援でできた政財界のサロン「国策研究会」のメンバーで、清水氏は謝氏の紹介で砂田氏と知り合い、親しくなっていった。

「出会った当時、謝さんは同志社大3年生くらいだったが、卒業後、東京へ進出した。銀座の『赤い靴』というキャバレーの上に事務所を設け、母親が台湾から輸出するバナナのビジネスを手伝っていました」

次のページ