戦後、活気づく大阪の闇市 (c)朝日新聞社
戦後、活気づく大阪の闇市 (c)朝日新聞社

 栄華を誇ったダイエー、西武グループなどが消え、死屍累々の中、合併再編を繰り返す流通業界。昨年は鈴木敏文セブン&アイ・ホールディングス会長の退任で激震が走った。激動を生き抜いたライフコーポレーションの清水信次会長兼CEO(90)が語る「生き残る」秘訣とは?

「蓮ちゃん」

 清水氏は民進党代表の蓮舫氏をこう呼ぶ。

 スーパー「ライフ」の前身となる、パイナップル缶詰、バナナ、ココアなど米国占領軍物資を販売する事業を清水氏は1950年代から手がけていたが、その仕事を通じ、蓮舫氏の父親、謝哲信氏と知り合った。

 台湾国籍でバナナなどの貿易商だった謝氏は1994年、62歳で亡くなったが、家族ぐるみの交際は現在に至るまで続いている。

 2016年9月15日、その蓮舫氏が女性初の民進党代表に選出された瞬間、会場には清水氏の姿があった。

 蓮舫氏は翌日、フェイスブックでこう綴っている。

《昨日の党大会に、ライフコーポレーションの清水信次会長がお越しくださいました。父の親友です。台湾の祖母とも、父とも仕事をしてきた清水会長は私が生まれた時から、私のことを「蓮ちゃん」と呼んで可愛がってくれています。昨日、とても温かい言葉をいただきました。本当にありがたいことです》

 民進党代表選前後から二重国籍問題でたたかれた蓮舫氏を清水氏は笑顔で「気にするな。がんばれ」と励まし続けた。清水氏はこう振り返る。

「私の顔を見て、蓮ちゃんは涙ぐんでたね。お父さんが亡くなってますので、私は父親代わりのようなもの。彼女の結婚式、弟の結婚式にも出席してますよ」

 蓮舫氏の父、謝氏との出会いは1950年。

 大阪市内にある住居兼店舗で店番をしていたある日、同志社大の帽子、学生服姿の青年が入ってきた。

「こんにちは、清水さんですか。清水さんがバナナやパインを扱っていると聞いて来ました」

 この青年が若き日の謝氏だった。謝氏は清水氏にこう身の上を語った。

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