治療中の心の平穏をいかに保ち続けるか……。そんな患者の思いに寄り添う記録が、闘病記。そのあるべき姿とは? (※写真はイメージ)
治療中の心の平穏をいかに保ち続けるか……。そんな患者の思いに寄り添う記録が、闘病記。そのあるべき姿とは? (※写真はイメージ)

 国民の4人に1人は65歳以上の高齢者で、6割の人が健康に何らかの不安を抱える時代。病を防ぐだけでなく、病と向き合いつつも“健やか”に暮らすことが大切になりました。運動や食生活改善だけでなく、長生きにつながる情報の接し方も考えてみませんか。

 病気の治療は、医師の診察が頼り。しかし、病気によって失った日常の取り戻し方は、患者が自ら試行錯誤することが多い。

 がんを告知されたら、仕事を続けられるのか、乳房や子宮を失った患者は恋人や子どもとどう接するか、治療中の心の平穏をいかに保ち続けるか……。

 そんな患者の思いに寄り添う記録が、闘病記だ。

 正岡子規の『病牀六尺』など、病気と闘う体験は古くから文学の題材にもなってきた。ネットが普及した今は、誰もがスマホやパソコンで、文字、音声、映像で、自らの思いを手軽に発信できる時代になった。

 内容も変わってきた。

「昔は病名も告知されない時代で、患者は疑心暗鬼で病と闘った。今は闘病というより、病を受け入れ、ともに生きる感覚。孤独を感じがちな患者も自ら発信すれば、ソーシャルメディアなどで同じ悩みの患者とつながれる。ほしい情報を得る最良の方法は自らが発信することで、闘病記を書きたい人が増えています」

 こう話すのは、2009年に闘病記研究会を設けた石井保志さん。東京医科歯科大の図書館で働く本業の傍ら、闘病記の意義を考えてきた。10月29日には大阪市立中央図書館で研究会を開き、看護現場での活用事例などを報告する。

 闘病記は貴重な記録である一方、難点もある。

 タイトルを見ただけでは何の病気かわからない。すでに古い治療法の記録かもしれない。患者の主観が強く、勘違いもある。特にネット上の記録は、患者が発信しやすい一方で、こうした問題も起きやすい。

 石井さんはネット上の記録よりは本に関心を持つ。編集者という第三者の目を介在し、客観性が高まるためだ。それでも自費出版などの本も多く、闘病記の名を借りた立志伝のような著作があるという。

 闘病記は数千部の発行が多く、書店で目につかない。そこで、図書館が注目されている。一定の選書基準があり、変な内容の本は棚に並びにくい。ただ、通常の分類では、闘病記は文学、ノンフィクション、医療などの棚に分かれ、探すのに困る。

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