花森編集長が皇女の原稿をダメ出し “とと姉ちゃん”の機転で掲載 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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花森編集長が皇女の原稿をダメ出し “とと姉ちゃん”の機転で掲載

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「とと姉ちゃん」のモチーフとなった大橋鎭子(しずこ)さん(ドラマの役名は常子)は生涯独身を貫いた。しかし、3姉妹の中で妹・晴子さん(役名は鞠子)は結婚。その長男で、鎭子さんの甥にあたる横山隆さん、その妻で「暮しの手帖」2代目社長を務めた泰子さんに、鎭子さんの素顔を聞いた──。

「鎭子さんはおもしろい人生だから、朝ドラのモデルに向いていると周囲から言われていました。今回実現しましたが、高視聴率なのは、西田征史さんの脚本が上手なおかげです。鎭子さんは、朝ドラを見てから出社していたので、喜んでいるかもしれません」(隆さん)

 ドラマでは、西島秀俊演じる“とと”(父)亡き後、木村多江演じる母と3姉妹が支え合う家族の絆が描かれる。

「父が亡くなり、鎭子さんは戸籍上10歳で“戸主”になっていました。鎭子さんがしっかり者のように描かれていますが、木村多江さん演じる母親が、明治の女性で厳しい人。3姉妹が集まっても、太刀打ちできなかったんです。3姉妹はけんかもしていましたが、80年以上一緒に暮らしていて、いざという時の結束力は強くて仲良し。うお座の3姉妹ですが、『これと決めたら、ずっと信じて突き進む』という性格も似ていましたね」(同)

 終戦後の昭和23年、鎭子さんは花森安治氏らと5人で、「美しい暮しの手帖」(5年後に「暮しの手帖」へと改題)を創刊した。

「鎭子さんは暮しの手帖と一体で、『暮しの手帖が良くなるために、社員が幸せになるために』ということを、ずっと考えていました。『何かおもしろい企画はないかしら』『何かいい話はないの』と常に言い、頭の中は会社のことばかりでしたね」(泰子さん)

 ところが、昭和24年に早くも廃刊の危機を迎えたという。花森氏は「読者があっというような記事を載せよう」と、部員を叱咤激励する。当時、戦後の食糧難で国民が芋を主食にしていた中、「皇族はマッカーサーの庇護のもと、いい暮らしをしている」という噂が流れ、鎭子さんはその真相を確かめようと、昭和天皇の長女・東久邇成子さんに会いに行き、直接原稿を依頼したという。

「初めは『原稿は書けない』と断られたそうですが、鎭子さんは『学習院の時に、綴(つづ)り方をお書きになられたでしょう。綴り方と思って今の暮らしの様子をお書きください』と説得したそうです。何度も通い、ようやく原稿をいただいて喜んだけど、花森さんは『おもしろくない』と却下。さすがに書き直してくださいとは申し上げられず、『枚数を間違えておりました。もうあと何枚か書いてください』と再度お願いしたそうです。狙いを定めたらなんとかして突破口を探すというのは、鎭子さんらしい話です。社長だけど男勝りではなく、柔らかく相手の懐に入るという才能がありました」(同)

 さまざまな“伝説”がある鎭子さんだが、プライベートはなく、いつも会社のことを考えていたという。


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