抗がん剤治療はすぐに始めるべきだったが、子どもをあきらめることもできない。そんな田中さんに主治医は、「卵子や受精卵を凍結保存すれば、治療終了後に体外受精で赤ちゃんを授かることもできる」と話した。

「体外受精」とは、女性の卵巣から成熟した卵子を採取し(採卵)、体外で夫の精子と受精させ、受精卵を培養してから子宮内に戻す方法だ。精子が少ない場合には、卵子に精子を直接注入する「顕微授精」を選択する。体外受精や顕微授精をする場合、排卵の1~2週間前から排卵誘発剤を使って卵巣を刺激し、成熟した卵胞を増やしてから採卵するのが一般的だ。複数とれた卵子は受精卵にして凍結保存する。

 がん患者の場合もやり方は同じだ。抗がん剤の治療が始まる前に排卵誘発をして採卵し、受精卵にしてから凍結する。子宮内に戻すのはがんの治療が終わり、がん治療の担当医が「妊娠しても問題ない」と判断してからになる。未婚の女性患者の場合は卵子のみを凍結するが、受精卵を凍結するより妊娠率は下がる。

 田中さんはすぐにその病院の産婦人科で卵巣刺激を始めたが、「生殖医療にも、がんの治療にも力を入れている病院で治療を受けたい」と、数日後には埼玉医科大学総合医療センターに転院した。

 産婦人科の高井泰医師は、以前の病院での治療を引き継ぐ形で排卵誘発剤を投与し、約1週間後に採卵した。とれた卵子は一つだけだったが、夫の精子と受精させて凍結保存することができた。その直後、田中さんは約2週間おき、計8回の抗がん剤投与をスタートした。

「田中さんの場合、抗がん剤の治療を開始するまでに多少の猶予がありました。すぐに治療を開始しなければ命にかかわるという場合、採卵をあきらめざるを得ないこともあります」と高井医師は言う。

週刊朝日 2015年5月22日号より抜粋