(※イメージ写真) @@写禁
(※イメージ写真) @@写禁

 女優として、そして映画監督として数々の映画祭で賞を獲得する杉野希妃。今年は初の長編映画「マンガ肉と僕」(監督・プロデュース・主演)も公開が予定され、さらに注目されている。そんな彼女がいまあるのは、慶應義塾大学への進学だった。

*  *  *

 広島で進学校の女子高に通い、親も学校もすさまじく厳しい中で18歳まで暮らした私には、抑圧されて生きてきた感覚がありました。だから、ここから抜け出したい、エンターテインメントの中心の東京で、華やかで刺激がありそうな慶應大学に行って個性豊かな人たちに感化されたい、と思ったんです。苦しい受験勉強も、得意な数学で経済学部に入る、という明確な目標で乗り越えられました。

 いざ入学すると、自由に解放されてしまったがゆえに、いろいろと見定めているうち、あっという間に2年が過ぎていました。

 3年で周りの友人が就職活動を始めたとき、私は全く就職する気がなかったんです。映画に興味はあるけれど、どういう道をたどればいいかもわからず、女優になりたいとは友人にも恥ずかしくて言えなかった。自分には何もないと気づいて、「この生活から抜け出してもっと新しいことを学ぶべきじゃないか」と思い、韓国映画が好きなこともあって、休学して1年、韓国に語学留学することにしたんです。3年の2月、テストが終わった1週間後には韓国に発っていました。

 韓国では、オーディションで女優デビューしました。その上映のために参加した釜山国際映画祭で、こんなかっこうの出会いの場はないと思い、いろんな人に、「キム・ギドク監督が現れたら教えて」とお願いしたんです。そこで映画会社の会食に行ったら、たまたまキム監督がいらっしゃって、たまたま前の席が空いていた。私はそこに座り、いかにキム監督の映画が好きかを、つたない韓国語で必死に話しました。監督は喜ばれて、そこから親交が続き、作品にも出演させていただきました。

 韓国でもっとやれそうだな、と後ろ髪を引かれましたが、決めていたとおりに1年で帰国しました。ズルズルとして卒業が遅れるのは嫌だったので。

 私にとってのターニングポイントは韓国でしたが、大学3年で入ったゼミの藤田康範先生からの影響も大きかった。とても奇抜で、例えば試験でも漫画が出てきて、「この吹き出しの中に入る台詞は何でしょう」と問うような、経済学部なのに想像力豊かで自由なものだったんです。韓国の留学を相談したときに「行きなよ!」と背中を押してくれたのも先生です。

 私がプロデューサーでもある「おだやかな日常」や「ほとりの朔子」という映画を作ったときには、先生がゼミの後輩をたくさん紹介してくださり、「どうやったら映画を世の中に広められるか」というテーマで、週に1回、有志で集まって意見を出してもらいました。

 今でも映画の資金集めにどんな企業にあたるといいかなんて話で先生にご相談することがありますよ。

週刊朝日 2015年3月27日号