(c)野上眞宏
(c)野上眞宏

 フォークソング全盛だった1970年代、「ロックに日本語を乗せて」登場した「はっぴいえんど」。日本にロック黎明期をもたらした伝説のバンドをプロデビュー前から撮り続けてきた写真家・野上眞宏さんが、このたびデジタル写真集「野上眞宏のSNAPSHOT DIARY」を発売。本書には1968年から73年を中心に、はっぴいえんどだけでなく、昔の東京風景など、4千枚以上の写真を収録している。制作には7年が費やされ、オーディオコメントも収録されている。元メンバーの細野晴臣さんのラジオ番組に野上さんが出演。2人で当時を振り返った。

 細野さんと野上さんは、立教高校・大学で同学年だ。高校時代はあまり接点がなく、親しくなったのは大学1年生のとき。同じ学部で音楽好き。友だちになるのに時間はかからなかった。試験が終わると新宿の「ジ・アザー」などダンスクラブやディスコで踊りまくる日々を、ともに過ごした。

細野:モータウン全盛期。帰りに必ず「ジ・アザー」に寄っていたよね。酒も飲めないのに(笑)。当時はベトナム帰りのアメリカ兵がいて、黒人兵たちが私服で踊ってた。

野上:できない英語で、ニューエストステップとか言っちゃって。みんなすごく気前がいいから「こうやるんだよ」って教えてくれましたね。

細野:あれは大事な時間でしたね。あと、テンプテーションズが歌いながら踊る振り付けをそのままみんなで真似して、それを覚えたことがありますね。

 細野さんが高校時代に影響を受けたのはボブ・ディランだった。野上さんが学校行事で滞在した米国で買ってきたアルバム「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」を、共通の友人を介して聴いた細野さんは、ポップスへの見方が変わったという。 

細野:ボブ・ディランがエレキを持ち始めた第1作。ほんとによく聴いたよ。

野上:カッコよかった。今、聴いてもカッコいい。

細野:ボブ・ディランのせいで、それまでの僕のポップ感覚っていうのが切り替わっちゃったんですよ。ギターを弾きながら歌うんだっていう。大学になって、再びロックに戻ったけど。バッファロー・スプリングフィールドとか。

野上:バッファローは最初はよくわからなかった。「これのどこがいいの」って思っていたけど、何回も聴いているうちに、「あ、いいな」って思うようになって。細野すごいな、センスいいな、みたいな(笑)。

週刊朝日  2014年12月12日号