芸能にも造詣が深い心理学者の小倉千加子氏が、女優・淡路恵子さんの壮絶な人生について話す。

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 淡路恵子が自分でも「なんでこんな目に遭わねばならないのか」と神仏を呪ったのが、三男と四男を逆縁で失ったことである。三男は交通事故で、四男は自殺で、若くして亡くなっている。

 実の子に先立たれることは「骨を砕くような苦しみ」だった。淡路恵子はそんな苦しみに「人に心配させるのが嫌だから、『大丈夫よ』って元気ぶって」生きてきた。自分は強い精神力を持っているのだと思いながらも本当は大丈夫ではなかった。身体がどんどん痩せていくのである。「体は嘘つけない」と思った。

 夫の萬屋錦之介には「よかったわね、あの時に死んで。あなた、こういう悲しいこと耐えられないでしょ、弱虫だから。苦しんだだけ苦しんだでしょうけど、今は、そういうことが何もない世界へ行って、よかったわね」と話しかけている。

「この世にはもう何の思いもないから、いつ死んでもいい」と言う淡路恵子だが、人生でやり残したことが一つだけある。子育てである。自分の子どもたちは、ある程度の年齢になった時に、(中村プロの)倒産、(夫の)病気と続いたので、一番大事な時に子どもに目が行かなかったのではないかと思うからである。

 夫は靴下でも揃えてあげないと左右で違うのを履いていくような人だった。

 家の中のことだけではない。夫は座長でもあった。淡路恵子は座長の妻として、切符を何千枚も売り、ご贔屓様に挨拶をして、始終お礼状を書き、お配りする浴衣のデザインをして、公演中は朝昼晩、ホテルの部屋でも夫の食事を作った。

 現在80歳とはいえ、淡路恵子は60年間女優をしてきたわけではない。錦之介と結婚していた21年間、女優の仕事は中断していた。それも30代から40代にかけての21年間だから、女優として一番いい時期をおさんどんをして過ごしたことになる。それと同時に「中村プロ」は経済的にひっ迫し、淡路恵子は自分の生命保険のお金で家族を養っていた。

 それほどまでして夫のために「やってあげたかった」のは夫は自分には敵わないほど素晴らしい役者だからである。芝居のことしか考えられない役者バカである。

 しかし、そのために中村プロは倒産した。

「私は耐えて、耐えて、耐えられたけど、錦之介さんは耐えられなかったのね」

「男とか女とかじゃなく、人間として強いのは私なのよね。あの人は弱かったんの。だからすぐ、楽なほうへ行っちゃうの」

「子どもたち(4人)の学費、みんなの給料、維持費、それに家賃もかかる……。そういうことに、錦ちゃんは耐えられないんでしょうね」

 錦之介は子役の時から、名門の家の子役であった。父の時蔵も伯父の吉右衛門も名門ではなかったが、錦之介はエリートの子役だった。観客に期待されて成長し、喝采されて育てられた。

 一方の淡路恵子は実の父を守る娘である。父は世の中に背を向けて静かに生きる純粋な人だった。男の子を2人持つ女性と結婚し、世俗にまみれて働く力がなく当然経済力がなく、病魔のために短命だった。淡路恵子は誰よりも父を愛していた。

 淡路恵子はその母のようにエネルギーの強い人で、それが向けられた人は楽な方に流れて自力で生きることができなくなってしまう。

 今度はイタリーの村に生まれて、漁師の太った女房になり、週末は子どもや孫のために十何人分のパスタを作りたいと言う。

「淡路恵子は二度とイヤ。生まれ変わったら、家族のため、子どもたちのためにご飯を作るのよ、夫が獲ってきた魚を料理して」

週刊朝日  2013年12月13日号