被災地復興には現代の“川村孫兵衛”が必要?

2013/03/17 07:00

 作家の佐伯一麦(かずみ)さんは宮城県仙台市太白区の山の上に立つマンションに住んでいる。風景は素晴らしく海まで見晴らせる。2年前の東日本大震災後は風景が変わり、海が盛り上がっているように見えるという。

*  *  *
 司馬さんの「街道をゆく 仙台・石巻」に出てくる川村孫兵衛重吉(しげよし)に興味を持って、18年ぐらい前から調べはじめました。川村はもともとは毛利家浪人で、関ケ原の戦いの後に近江の蒲生郡で政宗自身が川村の土木技術を高く評価して仙台藩にスカウトする。

 伊達政宗は500石を与えようとしたが、川村は何の利用価値もない荒れ地だった野谷地(ノヤチ)を要求したという。川村は貞山堀(ていざんぼり)の阿武隈川河口から名取川河口までの箇所を開削したのをはじめ野谷地を美田にした。

 徳川時代に仙台藩は62万石とされたのに、実際は100万石を越えていたといわれるのは、川村の功績でしょう。しかも、石巻湊も造って、日和山の公園の隅には川村孫兵衛の小さな銅像が建てられています。川村が仙台であまり知られていないのは、妻が隠れキリシタンだったことや、もともと東北とは仲が良くない長州出身だったからではないでしょうか。

 いま私が川村に興味を持つのは、政宗時代の1611年に起きた慶長三陸地震のときのことです。マグニチュード8.1と推測される大地震で、政宗の事績を記録した「貞山公治家記録」には、〈御領内大地震、津波入ル。御領内ニ於テ千七百八十三人溺死シ、牛馬八十五匹溺死ス〉と記録されています。

 川村孫兵衛はこの震災復興事業でも、塩田開発をして、製塩業による被災地の復興を図っている。

 程度の差はあれ、東日本大震災からの復興は2年もたつのにいまだに進み方は遅い。現代の川村孫兵衛がいないからでしょうか。この現状を司馬さんはどのように話されるのか聞いてみたい。

週刊朝日 2013年3月22日号

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