近年、がんや糖尿病といった成人病の多くは、その発症確率に遺伝的素因が深く関わっていることが知られるようになった。遺伝子診断でリスクが分かれば、予防措置などをとることができるかもしれない。しかし生物学者の池田清彦氏によると、遺伝子診断は社会的な問題を孕んでいるという。

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 遺伝子診断には社会的にやっかいな問題があるのだ。遺伝子診断の結果は究極の個人情報なので、これをどう管理するかはめんどうな問題なのである。病気になるリスクが高い遺伝子を持っていることが本人以外の外部に流出すれば、生命保険への加入が制限されるか、あるいは加入できでも高い掛け金を請求されるだろう。結婚就職差別につながる恐れもある。

 それでは本人にだけ知らせればよいかと言えば、それはそれで大きな問題を孕むのだ。がんになる確率が高いことが分かれば、高額の生命保険やがん保険をかける人が現れるかもしれない。年金をもらえる年齢まで生き延びられる確率が低いと分かれば、年金の掛け金を支払うのがバカらしいと思う人がでてくるに違いない。保険や年金は死亡リスクに関する個人情報が、加入する時点では誰にも分からないことを前提にしている制度なので、この前提が崩れれば公平とは何かをめぐって問題が発生する。

 健康で長生きしたいという人間の欲望には切りがなく、遺伝子診断をして病気が予防できるということになれば、多くの人は遺伝子診断を受けたいと思うようになるだろう。しかし、個々人の欲望の追求は必ずしも社会全体の幸福に結びつかない。ここでもミクロ合理性はマクロ非合理性を帰結するのだ。

週刊朝日 2013年3月22日号