小学校からクラスでは変人扱いで、「あまのじゃく」というあだ名をつけられていたという荒俣宏氏。あるときは博物学者、またあるときは幻想文学研究家。小説家にして妖怪研究家、あるいはタレントと、もはや本業がどれかわからないほどさまざまな顔を持つ。博物好きの荒俣氏だが、その性格が爆発したのは平凡社で百科事典に携わるようになってからだという。

 あまりの忙しさに家に帰るのが面倒になり、平凡社の仮眠室にそのまま住みつくようになる。寝起きする部屋には文献が山と積まれ、極度の甘党なので食事は編集者が差し入れる大福と鯛焼き。風呂代わりに公園で砂浴びした。そうした数々の伝説を作りつつ、85年、ここで書いた小説『帝都物語』がベストセラーになった。当時、巨額の印税が入ったというが、その使い道もやはり荒俣氏らしいものだった。

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 平凡社には50代前半まで、二十数年住んでいました。

 自然雑誌の「アニマ」で月l回原稿書くなら、ほかの社の仕事もしていいし、部屋を使っていいよと言われて。あの会社は資料が山ほどあって、でっかい図書館みたいなところなんですよ。何力国語もできるような学者まがいの編集者もたくさんいたから、小説や原稿を書くには理想的な環境だったんです。毎年、本を12冊ぐらい書いてましたよ。

 幸い、『帝都物語』が売れて食べていけるようになりました。印税は1億数千万円。でも、ほとんど本に使いました。1冊1千万円とかザラでしたから、あっという間になくなった。

※週刊朝日 2012年8月3日号