日本初のバチスタ手術を成功させ、手がけた心臓手術は5千件以上。「ゴッドハンド」といえる心臓外科医・須磨久善氏の人生はこれまでにもプロの作り手たちにより、小説やドラマに描かれてきた。そんな須磨氏だが、医大に入ろうと考えたのは高校3年からと遅く、にもかかわらずストレートで合格したというエピソードの持ち主。作家の林真理子氏が当時の様子を聞いた。

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須磨:僕はね、入った中学が大学までの一貫校だったんです。

林:芦屋(兵庫)の甲南ですよね。お坊ちゃん校で有名な。

須磨:そこの大学には医学部がなくて、だから親も自分も医者という選択肢がなくて甲南に入りました。だけど、中学2年生ぐらいのときに、社会人になったらどんな仕事をするか、いろいろ考えたんですね。東京オリンピックのころで、人を押しのけてでも前に進む「モーレツ社員」が当時の期待される人間像でした。

林:日本が元気だったころですね。

須磨:そうです。ただ、僕はそれは無理だ。小さなユニットで、人に何かしてあげて喜んでもらえるような仕事はないかと考えて、それなら医者がいいなと思ったんですよ。だけど、全然勉強しなかったから、高校3年生のときに模擬試験を受けたら、ある科目が8点だったんです。

林:10点満点の8点。

須磨:100点満点で。(笑)

林:え~っ、信じられない。それで医学部に入れるんですか。

須磨:ある日思い切って自分の部屋の雨戸を閉めて、釘を打って、親に「食事だ風呂だ、一切言わないで放っておいて」と言って、ドサッと本を置いて、3カ月間カンヅメになって勉強したら、模擬試験で80点になったんです。そして受けたら通っちやいました。(笑)

林:す、すごいです。お医者さんのうちのお子さんなんか、中学生のころから家庭教師をつけて、お金をかけて、お母さんはノイローゼになるくらい血眼になっているのに、先生は3カ月ですか。

須磨:集中力だと思うんですよ。医学部に入るというのは、パスポートをとるみたいなものでしょう。医者になって人を助けようと思っても、医師免許を持ってないとできないわけだから、パスポートをとるためだと思って勉強すれば、大丈夫だと思うんですけどね。

林:と、簡単そうにおっしゃいますけど……。

※週刊朝日 2012年7月27日号