祝12月23日で77歳!

天皇陛下は12月23日で77歳、喜寿を迎える。昨今、どのように過ごされているのか。平成の天皇が築き上げた象徴天皇のあり方から、皇太子ご夫妻が継承すべきものは何なのか。陛下の側近筆頭である侍従長を10年半務め、いまも御用掛として仕える渡辺允氏(74)に、皇室取材を24年間続けてきた朝日新聞の岩井克己編集委員が聞いた。

 岩井:平成21(2009)年は、天皇、皇后両陛下のご成婚50年、天皇陛下のご在位20年という大きな節目であり、また、歴史的な政権交代がありました。そうした激動の1年を経て、今年、陛下は喜寿を迎えました。渡辺さんは、両陛下の皇太子ご夫妻時代から外務省で外国訪問などのお世話をされていましたね。

 渡辺:昭和62(1987)年と平成6(1994)年の外国ご訪問にお供しました。その後、平成7(1995)年に宮内庁へ移り、式部官長を経て、両陛下のお世話役である侍従長を10年半務めることになりました。

 岩井:この22年間の平成皇室をご覧になって、どのように感じますか。

 渡辺:陛下は「象徴天皇」として即位された初めての天皇です。象徴の地位にふさわしい仕事をなさろうと、ご自身で考え、日々実践してこられましたが、その積み重ねの全体が、平成の皇室像として実を結びつつあると思います。

 岩井:昭和天皇が亡くなられたあと、いまの御所が平成5(1993)年冬に完成するまで、両陛下は赤坂御所から皇居に毎日通っておられました。いわば「通勤天皇」です。その途中、信号待ちのわずかな時間に、街を歩く子供やビジネスマンの服装が季節とともに変わるさまを車窓から見るのを、両陛下はとても楽しみにされていたと聞いたことがあります。

 渡辺:だいぶ後になりますが、平成15(2003)年1月に陛下が前立腺がんを手術され、皇后さまは連日、病院で付き添われました。そのころを振り返りながら、皇后さまは「病院に通う道々、時として同じ道を行く人々の健康体をまぶしいように見つめていた」と言っておられた。どちらの話にも、街を行く人々をご自身と近いものとしてご覧になっているところに、両陛下のお気持ちが表れています。

 岩井:皇后さまが、今年10月の誕生日の文書回答で、「この数年、仕事をするのがとてものろくなり、心細い......」とおっしゃったのには驚かされました。初めてご自身の老いについて述べられた。

 渡辺:両陛下とも長年、いろいろな意味で心身を酷使してこられた。そのお疲れがここ2、3年出てきて、体調を崩されることもありました。皇后さまが今年、老いを感じて不安になる、とおっしゃったのは、正直なお気持ちなのだろうと思います。

 岩井:両陛下の日程はほぼ毎日、公務でびっしり埋まっています。昭和天皇の同年齢の時期と比べても、はるかに仕事量が多い。

 渡辺:それでも陛下は最近も、仕事を減らそうとは思わないということを言われました。そばの人間が心配しても、陛下は「では、そうしようか」とはおっしゃらない。仕事の一つひとつに意味があるとお感じになっているからだと思います。

 岩井:宮内庁は長官や侍従長、侍従といった特別職でも70歳が引退の目安ですから、陛下の側近の方々はみんな、遠からず退官される。陛下と近いご年齢か少し上の方がおられないと、「私どものあごが上がりますから、少しやめましょう」と進言する人がいなくなる。他の省庁から新しい方が来ても、陛下のほうが、その行事やお仕事の内容を知り尽くしておられるわけですから、やめましょうとは進言できないですよ。

 渡辺:私も侍従長時代に、陛下のお仕事の量を減らそうと試みたことがありますが、陛下のお気持ちのほかにも、なかなか難しいことがある。例えば、いくつかの省庁の大臣に表彰された永年勤続の人の拝謁があります。刑務所の看守や税金徴収にかかわる人、警察官、灯台守など、戦後の日本が復興するにあたって特に難しい仕事をした人たちでしょう。灯台守のように、時代の変化とともにその職業がなくなればともかく、そうでなければ、その中の特定の分野だけを減らすことはなかなか難しい。

 岩井:認証式でいえば、副大臣まで拝謁することになって、人数はむしろ増えています。

◆皇室業務仕分け、国民の理解促進◆

 渡辺:日本に着任する外国の大使には信任状の奉呈があるし、日本の大使が赴任、帰国する際も拝謁やお茶がある。政府全体がご公務の軽減に協力しようとしない限り、宮内庁だけがいくら考えても実現しません。

 岩井:いっそ、政府・与党が「皇室業務仕分け班」をつくるとか。(笑い)

 渡辺:過去になぜその行事ができたのか。現在どういう意味があるのか。陛下のお気持ちはどうなのか。そういうところまでわかっている人がするのならいいですが......。

 岩井:長年続けていると、皇室に行事への出席や拝謁などをお願いした所管の省庁や組織ですら、その意義や歴史的重みを忘れてしまう。皇室業務の「仕分け」を議論することは、政府や国民が皇室の活動について理解を深めるいい機会にもなるのではないでしょうか。というのも、戦後、皇室が積み重ねてきた、皇室とはこういうものだという独特の枠組みが、役人にも政治家にもジャーナリズムにも、よくわからなくなっているのではないかと。

 渡辺:それは大きな問題で、正直に言うと、教育の場で長年にわたって、天皇というものの歴史的な意味や、国民のために現在何をしておられるかを十分に教えてこなかったのではないか。また、ちょっと申し上げにくいけれど、メディアは何かにつけて「国民の知る権利」を主張される。それならば、両陛下が毎日黙々と国民のためになさっているお仕事の全容やお言葉、記者会見の実質的な中身など、天皇と皇室の実像を国民に知らせる努力を十分にしてくださっているかといえば、やや疑問ですね。

 岩井:象徴天皇のありようをどう継承するのかも重要です。その根底にどういう理念があり、実態としてどう展開していくのか。時代の変化に対応して、国民のためにどう尽くしていくのかという点です。

 渡辺:同感ですね。陛下はご自分が受け継がれている歴代天皇の歴史を、国民の幸せを常に願ってきた歴史だと要約しておられます。宮中祭祀では年に30回近く、皇居内の宮中三殿で国民の幸福を祈願される。その他、なさっていることの全てが「国民の幸せ」につながっている。両陛下と全く同じことを、次の世代の方がやらなくてはいけないということではありません。陛下が継いでほしいと思っておられるのは、天皇家の中心にある「国民のために」という精神なのだと思います。具体的に何をすべきかは、次の世代が考えるようにと。

 岩井:陛下と皇太子さま、秋篠宮さまの最近のやりとりを見ていると、「次世代の皇室の在り方は、次世代に任せる。兄弟で助け合うように」というのが基本です。ただ、その言葉の奥には、「責任を持ってやりなさい」という叱咤激励や期待感が垣間見える気がします。

 渡辺:陛下は強制することを望んでおられないし、昭和天皇も陛下に「こうせい、ああせい」とおっしゃったことはなかったと思います。陛下ご自身が、昭和天皇の背中をご覧になりながら、自分で学んでこられたのだと思います。父親と息子の関係においては、息子のほうから学ぼうとすることが大切だということです。

◆まったく見えぬ、民主党の皇室観◆

 岩井:昭和の時代には毎週1回、皇太子ご一家が皇居に伺う「定例参内」がありました。2年前に宮内庁の羽毛田信吾長官が皇太子さまに対して、「もう少し皇居に来ていただきたい」と発言し、皇室の将来への陛下のご心配を明らかにしました。雅子さまは適応障害、愛子さまは通学問題を抱えていらっしゃることは承知していますが......。

 渡辺:妃殿下のご病気について両陛下は、まず何よりも、人間として家族の一員がご病気だということを心配しておられます。また、皇室の一員としてのお立場にある方がそういうご病気になっておられることについても、心を痛めておられるのは間違いありません。

 岩井:雅子さまが皇室の環境に適応するのが難しいという。では、環境を変えればいい、といった単純な問題でもないでしょう。率直に言えば、両陛下は、ご自身が一生懸命に築かれてきたこと、歴史や伝統を負い、戦争を潜り抜けてきたものの継承について、非常に悩まれているのではないか。だから、「皇太子と秋篠宮の兄弟で力を合わせて」とおっしゃる。それを思うと非常においたわしい。

 渡辺:先ほど言ったように、天皇として、皇室として、世代を超えて継承されるべき本質があることは、そのとおりです。ただ、同時に、天皇には一代、一代の歴史がある。そのときに天皇であった方と同時代人との信頼関係がその基本をなすと思う。いまの陛下の場合、同時代人は、戦争で焼け野原になった日本を目の当たりにし、その後はいまに至る復興を体験した人たちです。その人たちとともに両陛下が築き上げてこられたものは、今後どんなことがあっても揺らぎません。そのことと継承の問題は区別されるべきです。

 岩井:言うまでもないことですが、皇室は一市民の家ではありません。歴史を否応なく背負う家を継ぐわけですから、知らないなら勉強しなければならないし、「私たちの世代は関係ない」というわけにはいかない。

 渡辺:次の世代ということで言えば、皇太子殿下にも同世代人との関係があるわけで、それがどうなっていくかでしょう。

 岩井:皇室と政府の距離についてもお話を伺えればと思います。昨年、民主党政権が誕生しましたが、民主党には皇室とどう向き合うかという基本型が見えません。首相官邸は、中国の習近平国家副主席の天皇陛下との引見を、政府・宮内庁のルールを破ってねじ込みました。皇室をうまく利用しようという動きが出てくるのではないか、と不安を覚えます。

 渡辺:その背景には、どの政党が与党になったかということもさることながら、政権を担当されることになった方々が、皇室に関することのこれまでの経緯などをよくご存じか、という問題もあると思います。

 岩井:民主党には、憲法の象徴天皇制をどう運用していくか、また長い皇室の歴史と伝統に関してどのようなスタンスをとっていくのか、など皇室についての基本姿勢がよく見えません。民主党は、党内にさまざまな意見を抱えています。例えば、憲法の政教分離原則の観点から首相が新嘗祭に参列したり、伊勢神宮に参拝したりしてよいのか。各地で違憲訴訟が起きている大嘗祭への国費支出についてどう考えるか。皇位継承問題をどう考えるか等々も問われていくのではないでしょうか。天皇と皇室に関する考え方の軸を示していく責任があると思います。

◆悠仁さま一人が皇居に残る恐れ◆

 ところで、陛下のご心労の中には、皇位継承の問題も大きなウエートを占めているようにお見受けします。4年前に秋篠宮家悠仁さまが誕生したことで、次々代の継承者は得られましたが、皇族の数は依然として先細りしていきます。女性・女系天皇を認めるべきだとか、旧皇族の復籍を主張する意見も後を絶ちません。

 渡辺:現行の皇室典範によれば、皇位は次々代の悠仁さままで継承されます。ただ、悠仁さまが天皇になられるころには、典範の規定によって、女性皇族結婚して皇室を離れられ、悠仁さまお一人だけ残られるということになりかねない。国と国民のための皇室のご活動が十分になされなくなる恐れがあります。その事態を避けるために、私は、女性皇族に結婚後も皇族として残っていただき、悠仁さまを支えていただくようにする必要があると考えています。

 岩井:そうなると、「なし崩しで女性・女系を認めるのか」と反発する人も出てきそうです。

 渡辺:いえ、皇位継承の問題は、次の世代に委ねることにして手をつけず、当面の措置だけをとるという考えです。

 岩井:長年、陛下にお仕えした前侍従長の渡辺さんがおっしゃるということは、陛下もそうしたお気持ちということなのでしょうか。

 渡辺:これは、あくまでも私の個人的な考えです。

 岩井:昨年の即位20年の会見で陛下は、「皇位継承の制度にかかわることについては、国会の論議に委ねるべき」としながらも、「将来の皇室の在り方については、皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要」と述べられました。「将来の皇室の在り方」の中には皇位継承をどうするかも含まれるのではありませんか。

 渡辺:陛下は、皇位継承にかかわる制度的な問題ではなく、皇室の活動や国民とのかかわり合い方などのことをおっしゃっているのではないかと思います。

 岩井:常陸宮殿下や三笠宮殿下といった高齢の宮さま方は、研究やゴルフなど日々のご生活や趣味を楽しんでおられる。陛下も喜寿を迎えられたのですから、少し肩の力を抜いていただければと思います。

 渡辺:言われることはわかります。

 岩井:陛下はこれまでストイックに道を究めてこられた。今後は力の抜けた名人芸の世界で、人間国宝中の国宝になっていただきたい。記録に残る範囲でいえば、最も長寿だった天皇は87歳で崩御された昭和天皇で、2番目は84歳で亡くなられた江戸時代の後水尾天皇です。その年齢を超えることがまずは目標ですね。

 渡辺:ええ。来年は皇后さまも喜寿。両陛下には、喜寿から傘寿、米寿、卒寿、白寿、さらにはその先を目指していただきたいですね。
 
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 わたなべ・まこと 宮内庁侍従職御用掛。1936年生まれ。東大卒。59年、外務省入省。駐ヨルダン大使、中近東アフリカ局長、儀典長などを務めた後、宮内庁に入り、式部官長を経て、96年12月から2007年6月まで侍従長

週刊朝日