俳句と地球物理――年越しに寺田寅彦を読む 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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俳句と地球物理――年越しに寺田寅彦を読む

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しべりあの雪の奥から吹く風か

しべりあの雪の奥から吹く風か

いよいよ今年も年の瀬。12月31日は寅彦忌でもあります。物理学者・寺田寅彦は、夏目漱石の弟子でもあり、優れた随筆や俳句を残しました。「天災は忘れた頃にやって来る」の警句でも有名ですね。大晦日からお正月へのひととき、寺田寅彦の趣深くスケールの大きな世界を、じっくり味わってみてはいかがでしょうか。

哲学も科学も寒き嚏かな

寺田寅彦は1878(明治11)年生れ、 1935(昭和10)年没。東京の麹町に生まれ両親の郷里の高知で育ち、中学は主席卒業、19歳で熊本の第五高等学校に無試験で入学。同年に着任した夏目漱石に英語を学び、大きな影響を受けます。のち東京帝国大学理科大学に入学し物理学科で首席卒業と、エリート街道をまっしぐら。ドイツ留学後に東京帝大教授となり、実験物理学、応用物理学、地球物理学など、幅広い研究を展開しました。
寅彦は終生夏目漱石の門下として、藪柑子、寅日子、牛頓などの号で俳句をつくり、数多くの随筆を発表します。「牛頓」は漢文表記では、万有引力を発見したニュートンを意味します。ほかにガラスの割れ目、墨流し、金米糖の生成についてなど、ユニークかつマニアックな研究活動も続けました。偉大なだけではなく、ユーモアセンスも備えた学者さんだったのですね。
そして「尺八の音響学的研究」で理学博士号を取得したように、音楽をこよなく愛し、絵画にも精通。X線による結晶構造解析(ラウエ斑点)の開拓的な研究で世界的に知られ、地震予防と防災の研究にも従事。「天災は忘れた頃にやって来る」は至言です。各分野で、独創的な業績をのこした人と言えるでしょう。
・哲学も科学も寒き嚏(くさめ)かな
嚏は、「くしゃみ」のこと。いかにも科学者がひねった現代句の趣があります。

客観のコーヒー主観の新酒かな

「日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、唯一枚の硝子板で仕切られて居る。
此の硝子は、初めから曇って居ることもある。
生活の世界の塵に汚れて曇って居ることもある。
二つの世界の間の通路としては、通例、唯小さな狭い穴が一つ明いて居るだけである。」
から始まる、エッセーとも詩ともいえる『二十二のアフォリズム』(引用:『俳句と地球物理』)。物理的・合理的な世界と詩歌や音楽の世界を、比喩的に対比させていますが、最後に綴られたのはこの一句。
・客観のコーヒー主観の新酒かな
寅彦は、二つの世界を、常にゆらゆらと往還していたようです。そしてこの通路の交通手段は、「視覚」であったかもしれません。
『ちくま文学全集034 寺田寅彦』では、建築家の藤森照信氏が寅彦について、「過去を写生することにたけた、いっぷう変わった視覚の人であった。」と、あとがきを添えています。
確かに、物理学者ですから観察眼は優れていたことでしょうが、それだけではありません。藤森氏が「子規にも漱石にもなかった」と述べる、「記憶の中のある焦点を異常な記憶力で映し出す力」による随筆は、珠玉の名品といえるでしょう。代表作『団栗(どんぐり)』『竜舌蘭』『糸車』などは、誰をも古き良き時代や、幼い頃の甘酸っぱい思い出に誘ってくれます。

南窓や梅一輪の初日影

「宇宙の秘密が知りたくなった、と思うと、いつの間にかじぶんの手は一塊(いっかい)の土くれをつかんで居た。そうして、両(ふた)つの眼がじいっと其れを見詰めて居た。
すると、土くれの分子の中から星雲が生れ、其の中から星と太陽とが生れ、アミーバと三葉虫とアダムとイブが生れ、それから此の自分が生れて来るのをまざまざと見た。
……そうして自分は科学者になった。
しばらくすると、今度は、なんだか急に唄い度くなって来た。
と思うと、知らぬ間に自分の咽喉から、ひとりでに大きな声が出て来た。(中略)
声が声を呼び、句が句を誘うた。(中略)
……そうして自分は詩人になった。」
『二十二のアフォリズム』で上記のように自分を表した寅彦が、若い頃に『新年』と銘して綴った文章があります。
「一年の中楽しき事も多かるべし されど又悲しき事も多かるべし かくて年やうやう暮れんとする程には心自ら安からず煩はしき事のみ多きものなるがここに巧妙なる「天然」は四季の変化を造りて新年を立返らしめ漸く失意の闇路に迷はんとする人心を導きて再び希望の光に沐せしむ(中略)
新年楽しからずと論ずるものには論ぜしめよ 吾人は只全心を捧げて此楽しく美はしき『希望の春』を迎ふべきのみ」(引用:『寺田寅彦全集〈第17巻〉』)
いろいろあったこの一年。年末も煩わしい事ばかりだけれど、自然の営みのおかげで新しい年を迎えれば、また希望の光が訪れる。みんなで楽しく年の始めを迎えようではないか…と解釈できそうですね。たまには凡人の私たちも、牛頓先生の視覚の冒険を真似しつつ、宇宙と珈琲を両手に楽しむ新しい年を迎えましょうか。
・しべりあの雪の奥から吹く風か
・鮟鱇(あんこう)も河豚(ふぐ)も喰ふなり年の暮
・御降(おさがり)や寂然として神の鶴
・元旦や子供等は皆人となり
・南窓や梅一輪の初日影
(俳句引用:『俳句と地球物理』の「牛頓先生俳句集」より。御降、初日影は新年の季語。)

参考文献:
寺田寅彦 (著)『俳句と地球物理』(角川春樹事務所)
『ちくま文学全集034 寺田寅彦』(筑摩書房)
『寺田寅彦全集〈第17巻〉』(岩波書店)


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