「今年もとうとう冬将軍がやってきました」天気予報で、毎年聞くこのフレーズ。『冬』と書かれた兜をかぶったマンガのヒゲおじいさんが天気図に登場したりして、冬将軍をゆるキャラの一種だと思ってるチビっ子も多いことでしょう。冬の「使い」でも「魔王」でもなく、なぜ「将軍」? 調べてみたら、この方ぜんぜんゆるくない強者でした!

冬将軍は何しに日本へ?「冬将軍」とは厳しい冬の様子を擬人化した表現で、日本ではとくに冬期に周期的に南下する北極気団(シベリア寒気団)を指すそうです。日本海側に雪を降らせ、太平洋側には乾燥した冷たい北西風を吹き荒らすので、冬将軍がいる間は気温が10度以上も低くなり、去ると元に戻るのです。「将軍」は大きめの軍隊の指揮官に与えられる称号。寒気という強力な部下を連れスゴい軍隊を退却させた武勲から、そう呼ばれるようになったとか。きっかけは、あのナポレオン?愛用の帽子が2億7千万円で落札されるほど、いまも世界中の肉食系経営者たちから熱いまなざしが注がれている、ナポレオン。
フランス革命を経て皇帝の座につくと、ヨーロッパのほとんどを従わせ巨大な帝国をつくりつつありました。それでも敵対してくるイギリスを孤立させるため、大陸を封鎖して貿易できなくしちゃえ!と目論みます。一種の兵糧攻めですね。そしたらなんと、途中でロシアが裏切ってイギリスと貿易しだしたではありませんか。ナポレオンは大激怒! 大軍をおくってロシアを叩きのめしに向かったのです。1812年6月のことでした。
ところが、はじめて体験するだだっ広~い平原をやや心細く進むなか、ロシア軍はなかなか戦闘に応じてきません。そうこうしているうちに4ヶ月が過ぎ、9月にモスクワ入城したときには 兵士たちは疲労困憊。やっとここで食料や燃料を調達できる!と期待したのに、なんと市街はもぬけのカラだったのです。しかもロシア軍がわざと放火して街を廃墟にしてしまったので、何にも残っていません。まさに自分たちが兵糧攻めにあってしまったわけですね。なんとかねばるもののロシア軍はいっこうにあらわれず、やがて10月に。そう、そこであの「冬将軍」が来てしまったのです!!
冬の早いロシアは、10月になると急に天候が変化します。つい数日前には夏日だったのに、次の日いきなり雪が降ったりするのです。ナポレオン軍が出発したときは6月だったので、軍服は夏仕様、防寒具なし。ただでさえ栄養失調で体力も抵抗力もなくなった兵士たちを、猛吹雪が襲いかかり、疫病が発生して死者が続出。もうこれ以上ここにいたら全滅するということで、ナポレオンはとうとうモスクワから退却する決意をします。すると、こんどはロシア軍が追撃。ナポレオン軍は、飢えのため軍馬を食料にしてしまったので、大砲など重い武器も運べず徒歩で退却するしかなく、たくさんの兵士が凍死してしまったのでした。
そのようなできごとを、イギリスの新聞が「ナポレオンがgeneral frost(厳寒将軍)に負けた」と報じたのを和訳して、「冬将軍」という呼び名になったそうです。私たちが丸腰で太刀打ちできる相手ではなさそう!ロシアはじつは東京より暖かい? かのナポレオンをこてんぱんにした冬将軍ですが、現在モスクワ観光なら、日本の北海道くらいの防寒で大丈夫だそうです。外に出たとたん鼻やまつ毛の水分がピキッと凍るくらい寒いのですが、室内は家の造りや暖房がしっかり効いて、むしろ東京の室内より暖かく感じる(これ北海道の人もよく言いますよね)らしいです。
テレビで冬のロシアの街を見ていたら、人々がヒマワリの種を食べながら歩く姿が。油分と栄養が豊富で体力が付くんですって。冬将軍の攻撃をかわすには、保温と栄養がいちばんなのかもしれません。
近年は異常気象で、かつてない夏の猛暑のため命を落とす人も出ているというロシア。毎年日本を熱中症で悩ます「夏将軍」が、世界に遠征しつつあるのかもしれませんね。