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「話題の新刊」に関する記事一覧

ブラックボックス
ブラックボックス 地方都市で、完全無農薬のハイテク農法を推し進める企業と、食と環境の崩壊に気づき、組織に立ち向かう個人を描いた小説だ。  都会の富裕層向けに、安心安全を売りにしたカットサラダを供給するサラダ工場。ベルトコンベアの前に外国人労働者が一列にならび、野菜を詰める作業場がある。室温は冷蔵庫並み。都会で職を失い、故郷に戻ってひっそり暮らす独身のパートタイマーの女主人公は、ここで貴重な収入を得ている。同級生には、その系列企業と契約し、土地にガラスハウスを建てた男がいる。詳細なマニュアルに従って完全空調下の養液栽培で野菜を徹底管理するのだが、設備は故障を頻発する。  確実に利益の出る農業なら、人が戻ってくるはず──。企業側は、故郷を農の力で変えようと説くが、サラダ工場内では欠勤者が続出。奇形児の出産や、消化器系の癌の死者まで現れた。しかし時間に追われる農家の主婦らは泥つき野菜を敬遠。子供の給食にも安さと品数の多さが望まれる。待つのは重い事実だ。あくまでもフィクションだが、背筋をつたう恐ろしさがある。
デフレ化するセックス
デフレ化するセックス かつて女性にとって「カラダを売る」という行為は、金銭的救済を得るための最終手段と見られていた。しかし現在、それは非正規で働く貧困女性の「副業」として一般化しつつあるという。本書は、性風俗やアダルトビデオ、売春などへ身を投じた女性たちへの取材を軸に、各種性風俗の採用偏差値や推定月収といった数値を示しながら現代の「セックス市場」を分析したものだ。  雇用の悪化、AV女優のタレント化、情報化(インターネットの高収入求人サイトが、それまでセックス市場と接点を持ち得なかった層を掘り起こした)など様々な要因が重なり、市場参入のハードルはぐっと下がった。だが、志望者が増えれば競争は激化する。風俗店では応募女性の7割が不採用。AV女優で継続的に仕事を貰えているのは全体の2割、全応募者の3%程度だという。  容姿スペックの低い女性は安く買い叩かれ、いつまでも貧困から抜け出せない。彼女らを通して見えるのは、変わりゆく日本社会の姿であり、変化に気づけない者はどこまでも堕ちていくというシビアな現実だ。
ザ・万字固め
ザ・万字固め 奇想天外な作風で知られるエンタメ作家の日常を綴った最新エッセイ集。  英語の苦手な著者は、好きな英単語をネイティブには理解のできない感覚で楽しんでいるという。そのひとつがnatural-bornだ。単語の後半部分、「ぼーん」と伸ばすところの響きそのものを楽しむ。「生得の」という意味だが、予備校時代にはこんな話を聞いて心乱された。骨好きの若者がいて、骨(ボーン)の研究ができる東大を目指して八浪したが、その間も独りで黙々と研究を続けたので、新入生になると論文を次々に発表できた──。自身に純粋にやりたいことがないと気づいた万城目は、もの書きの先天的な才能がないならと努力の20代を過ごす。そして30代で先天も後天も道の険しさに違いはないと知ったと語る。  ひょうたんに魅せられ、栽培に入れこむ日々。小説を書くはずが、気づくと戦国武将でサッカーの日本代表チームを編成してしまっていた夜(ボランチに武田信玄)。大真面目にすっとぼけるエッセイは愉快なホラ話のよう。東京電力の株主として参加した、震災後の株主総会リポートはほろ苦い。
ラジオのこちら側で
ラジオのこちら側で ソウルフルで大人好みの選曲、音楽への深い愛情と率直な話しぶり。著者のラジオ番組には信頼感がある。40年近く、日本のラジオ・テレビ・音楽業界に関わってきた彼の来日から現在までの道のりを辿る、語りおろしの一冊。洋楽ファンはもちろん、音楽界や放送メディアの移り変わりを知りたい向きにも、現場の感覚が盛りだくさんでお勧めだ。  ロンドンで生まれ育った音楽好きで、大学では日本語を学んだ。卒業後、日本の音楽出版社の国際部の社員募集を見つけて応募。採用が決まり、1974年、東京に降り立った。会社が権利をもつ楽曲を売り込む仕事を通じて、日本で流行る音楽と自分の趣味との違いを痛感。そのうちにDJのオーディションを受け、FM東京で活動を始めるとともに、YMOの事務所で働くように。スポンサーの問題や、トーク中心の慣習に抗いながら、活躍の場を広げていく。  ラジオで新しい音楽を知った世代。今度は自分がいい音楽を伝えたい、その思いが声にこもる。各年代の思い出の10曲を紹介するコラムも楽しい。
農業に正義あり
農業に正義あり 日本がTPPに参加すれば、約40%しかない日本の食料自給率がさらに下がるとみられる。農業はどうすれば生き残れるのか。  農業ジャーナリストの著者は本書で、農業史を検証しつつ農業の未来を提示している。  戦後の日本は、食生活が洋風になった。著者によると、家畜の飼料から米国産になり、いわば米国の「食料の傘」に入った状態だという。その結果が、国内の農業の苦戦である。  著者は、「食の内需拡大」につながる農業のあり方を説く。ひとつのモデルが埼玉県の金子農場だ。水田、畑、山林を持ち、米を中心に小麦や大豆、野菜などを有機栽培で作り、乳牛や鶏なども飼う。農業と畜産を一体化させた複合経営である。その循環のなかで、飼料も自給。産直で消費者の食をまかなう。こうした、小規模だが生産性の高い農場を全国に増やせば、結果的に内需が拡大するという。  著者は、東日本大震災後、被災地の農家がこう語るのをテレビで見た。「大きな田んぼが水びたしになり、農業機械を入れられない。小さな田んぼなら人力で復旧できるのだが」。ハッとさせられる言葉だ。
閉経記
閉経記 妊娠・出産から離婚、異国生活、子どもの思春期、親の介護と「自分記」を詩人の筆致で世に問い続けてきた著者。50代半ば過ぎの身体と暮らしを、軽妙かつ磊落(らいらく)に綴った。  閉経前後の自らの変化を「おもしろくてたまらない」と著者は言う。性愛、妊娠、子の反抗期などには、人生経験の浅さゆえに翻弄された。海千山千の「漢」(おんな、もしくはおばさんと読む)となった今、大抵の事には動じず、自分を突き放して心根の変化を分析する。たとえば初孫への関心と距離感。夫が旅行に出ていった後の途方もない解放感。容色の衰えを突き付けてくる美容院の鏡。同年代の女性なら、自分が肉体や感情にこうも振り回される理由が、ストンと腑に落ちる。  ふた親亡き後、親の家と遺品をひとり片付ける項が胸に迫る。10年近く、日米を往還しながら介護をし、死を見つめ続けてきた著者の集大成である。  2年間の同時進行で、閉経後には困難とされるダイエットに成功、というおまけまで付いた。カラダを張って成果を得る、まさしく軍記物なのであった。

この人と一緒に考える

7つの動詞で自分を動かす
7つの動詞で自分を動かす 著述家でありフリー編集者でもある著者が、これまでの半生を振り返りながら書き綴った「論理と情緒が共存した考え方レッスン」。  とにかく泥臭いし汗臭い。大ヒットを飛ばした『盲導犬クイールの一生』が実は企画持ち込み十一社目でようやくゴーサインが出たのに、担当者の人事異動で二度も出版が延期されたとか、同棲していた恋人が、ある日突然すべての家財道具とともに消えてしまったとか……普通だったら隠しておきたい失敗談をネタに、どう考え、どう動くべきかが赤裸々に説かれてゆく。  一見、自己啓発系ビジネス書のようだが、その手の本にありがちな「読んだだけで満足してしまう」内容ではない。ぶつける、分ける、開ける、転ぶ、結ぶ、離す、笑う。7つの動詞をキーワードに、受動的な行動パターンを打破し「愚直に動くこと」の大切さはもとより、それが「誰だってできる」ことだというハードルの低さを打ち出すことで読者を実際の行動へと導いてゆく。何より魅力的なのは、著者がいまこの瞬間も愚直に動いているであろうと思わせる誠実さが感じられることだ。
みんな「おひとりさま」
みんな「おひとりさま」 ベストセラー『おひとりさまの老後』の姉妹本。同書が老後の快適なシングルライフを提案する高齢世代のための自助本であったのに対し、本書は周辺世代も視野に入れ、著者の自分史や世代間の問題を新たに取り上げる。いわば『おひとりさまの老後』の続編であり舞台裏にあたる。  特に興味深いのは、インタビューを通じた著者(1948年生まれ)の自分史だ。学生運動で経験した男性への失望、そこで気づいた女性学/女友だちの重要性、両親の死を看取ることで得た死生観などが語られ、女性学と親/夫/子どもに頼らない(頼れない)「おひとりさま」というアイデアとのつながりがよく理解できる。著者は社会学は“経験科学”であって必ず現実に基づくと述べるが、本書で語られていることは、一人のフェミニストの口述資料としても価値がある。  後半の世代論争では、社会学者としての著者の本領が遺憾なく発揮される。ライフスタイルの問題を超え、社会構造を通して「おひとりさま」をマクロな視点で眺め直すのに最適な一冊である。
みちくさ道中
みちくさ道中 『漂砂のうたう』で直木賞を受賞した著者の初エッセイ。一言で評するならば端正な本であり、その佇まいも美しい。白地に銀の箔文字と、鮮やかなブルーの曲線。カバーの下には、同じブルーを纏った仮フランス装。本書の端正さを体現しているかのような装丁だ。そこには日常での気づきや、編集者時代に経験した出来事などが丁寧な文章で綴られている。  著者は、「人生の目標なるものを設定せずに生きてきた。いわば道草の連続が、今の私を形作っているとも言える」という。そのみちくさ道中で拾ったものが、文中で渋い輝きを放っているように見えるのだ。  四十代を「往生際の悪い年頃。頑張ればやり直しがきく、ギリギリのライン」と著者は評する。そして、世間は転身をはかる人を賞賛し、現状にとどまる人を蔑みがちだが、「新たな道を切り開く美しさがあれば、一所に踏ん張るたくましさもある。そしてどちらに進んでも苦労や後悔はついてくる」と語る。  後悔しない人生よりも、悩んで悔いてもがいて生きる姿に胸を打たれるという著者。そんな視点の数々が、心に染みる。
ミラクル
ミラクル 今や国民病といわれる糖尿病は、ほんの100年前までは死に至る不治の病だった。インスリンを発見した科学者たちの苦闘と、最初にインスリン注射を受けた患者の一人、エリザベスの壮絶な闘病の物語を、実話を基に描く。  エリザベスは11歳で若年性糖尿病を発症、当時の治療は極限まで食事を減らす飢餓療法のみ。14歳の時には体重22キロ、骨と皮ばかりになっていた。あまりの凄惨さに糖尿病の本当の恐ろしさを思い知らされる。  本書で印象的なのは、偉大な発見の過程より薬を治療現場に届けるシステム作りの難しさだ。製造・供給体制など実際的な問題に注力する製薬会社に対し、研究者は営利優先の産業界を蔑視、協力を拒んだ。劇的な回復をもたらす物質を発見しながら、協力関係が作れぬゆえに患者の命が失われ続けた現実に愕然。  清廉な政治家で知られたエリザベスの父・ヒューズ、情に厚いが功績を横取りされるのを恐れて、同僚を激しく攻撃したインスリン発見者のバンティング。個性あふれる登場人物の苦悩や葛藤も鮮やかに写し取って、厚みのある物語を作り上げている。
悲しみを生きる力に
悲しみを生きる力に 東京都世田谷区で宮澤みきおさん一家4人が殺害された事件から12年の歳月が流れた。みきおさんの妻、泰子さんの姉で事件当時、隣に住んでいた絵本作家の入江杏さんが1月末、これまでの思いを綴った本を出版した。  本には在りし日のみきおさん一家の写真、長女、にいなちゃん(当時8歳)が描いた絵などが掲載されている。入江さんは長年、心ない報道、周囲の偏見、妹一家を助けられなかったという自責の念など悲しみの連鎖に悩まされるが、2006年に一家が大切にしていた子グマのぬいぐるみ「ミシュカ」を主人公にした絵本を出版。被害者遺族として時効撤廃運動にも参加し、10年には刑事訴訟法が改正され、時効廃止を実現させる。  だが、同年にこれまで入江さんを支えた夫が突然、倒れ、帰らぬ人となる。その翌年には事件の第一発見者となった母親も病で亡くすという耐え難い喪失体験を再び経験するが、それも乗り越え、東日本大震災の被災地など全国で絵本の読み聞かせ、講演などを行い、自身の体験をもとに悲しみの意味や大切さを今も語りかけている。
にっぽん全国百年食堂
にっぽん全国百年食堂 おなじみシーナと仲間たちが全国の老舗大衆食堂に突撃、名物メニューをもりもり食いつつ、100年続く店のヒミツを探る食堂ルポ。  かつ丼、ラーメン、おそばにカレー。なんでもあってお酒も飲めるのが大衆食堂。長く続いているからって絶品のうまさとは限らん、と言いながら一行は「うまい」を連発。イタリアで修業したの食のこだわりがどうの、ご大層な能書きより昔から知ってる味、地元の人が好きな味。みんなが安心する「うまい」がどの店にも充満している。  しかし、店主はみな淡々としたもの。これまでのご苦労は?と水を向けても「なんにもないねえ」。中にはホントは店なんか継ぎたくなかったとグチる人、大スター・赤木圭一郎のファンで、店内は彼の写真だらけの人もいて、店主の人生が料理にもう一つ、別の味を加えているのが面白い。  お客さんに喜んでもらおうとヤケクソ的大盛りの店もある。当然、育ち盛りの中高生が上得意だったのだが、昨今彼らが来ないという。ケータイ料金がかさんで金がないのだ。跡継ぎ問題と並ぶ大衆食堂存亡の危機の原因がケータイとは。残念至極。

特集special feature

    こんなにちがう中国各省気質
    こんなにちがう中国各省気質 日本の尖閣諸島の国有化以降、悪化する日中関係。中国への印象が悪化した人もいるだろうが、果たして中国を「中国」と一括りにできるのかというのが本書の出発点。日本ですら県民性の違いは大きいが、中国の人口は日本の10倍以上、国土は26倍。50以上の民族が住む。  本書では中国の31の省や直轄市、自治区ごとにその土地に住む人びとの気質や歴史、名物料理などを歯切れの良い文体で紹介する。北京や上海など大都市に対する歯に衣着せぬ語り口も小気味いいが、興味深いのは日本人に馴染みのない地域への言及。田舎ならではの心温まる小話もあるが、辛口な指摘やブラックジョークがやはり満載だ。例えば広西チワン族自治区。「標準語は通じないがオートバイ普及率は全国1位」「美男子率、美女率は最低レベル?」。貴州省に至っては「国内でも存在をほとんど忘れられている」。  手厳しい指摘も少なくないが、大手メーカーで中国を飛び回った著者が見聞きした話が多いだけに説得力は十分。単なる悪口満載の中国本とは一線を画す。
    ポップ中毒者の手記(約10年分)
    ポップ中毒者の手記(約10年分) 国内外のポップカルチャーに魅せられたライター兼エディターのコラム集。彼は「ポップ・ウイルス」に感染した「ポップ中毒者」を名乗るほどこのジャンルにのめり込んでいる。  音楽、映画、文学、写真、演劇……ポップカルチャーのすべてを受け止め、全力で原稿に落とし込んでいく様子は、博覧強記そのもの。詳細かつ膨大な情報量は、読んでいて目眩がするほどだ。劇作家の宮沢章夫やラップグループのスチャダラパーなど、後に大化けする面々を無名時代から猛プッシュする目利きとしての顔も垣間見える。  本書は、ポップカルチャー界における流行り廃りを振り返るための貴重な資料である。と同時に、著者の熱狂と偏愛がこの国のポップカルチャーをどれだけ活性化させたか再確認するための書でもある。終盤で、占い師に「川勝さんはずーっと二足のわらじで、55でどちらか一足でいける」と言われたエピソードが出てくるのが、なんともいえず切ない。昨年一月、不慮の火災事故により55歳で急逝した彼は、ライターとエディター、どちらのわらじを選ぼうとしていたのだろうか。
    世界一のサービス
    世界一のサービス 「人生であと何回食事ができるかわからないのだから、つまらないものでお腹を一杯にしたくない」。銀座「レカン」、恵比寿「シャトーレストラン タイユバン・ロブション」オープニング支配人など、錚々たるレストランで一流のサービスを提供し続けてきた著者が、年配の客に言われた言葉だ。  しかし、いくら著名なシェフが最高級の食材を用いて作った料理であったとしても、そこに客の気持ちを細やかに汲み取ったサービスがあって、初めて「感動」が生まれるのではないだろうか。本書には、そんなサービスの本質が余すことなく、平易な言葉で綴られている。  著者は、日本には相手や食べ物を敬い、感謝や歓迎の気持ちがこもった「おもてなしの文化」があると指摘する。本書で語られるサービスの具体例やその哲学は、レストランの中だけのことではなく、良好な人間関係を構築する上での示唆に富む。  その一方で、自分はそれだけのサービスを受けるに値する人間性や風格を備えているのか。襟を正さずにはいられなくなる。
    絵と言葉の一研究
    絵と言葉の一研究 広告やブックデザインなど、広いジャンルで活躍する人気アートディレクターが、絵と言葉が伝えるものは何か、「わかりやすさ」とは何かを興味深く語っている。  絵で情報を伝えることは情報をそのまま絵にすることではない。「リンゴ」という言葉をただリンゴの絵にしても、文字で書くのと変わらない。一口かじられたリンゴにすると人の気配が現れる。そのそばに女性が倒れていると、怪しげな空気が生じる。自分の仕事は絵と言葉が作り出す、この奇妙な空気や響きを扱うことだという。  しかし、絵があれば物事はわかりやすいかといえば、それはちがうとも述べている。そもそも「わかる」とはどういうことか。私たちがうまく説明できない、ぼやっとした部分を、著者は仕事でぶつかったさまざまなできごとや身近な例えに置き換えながら、ごくシンプルな言葉で核心をぽんと取り出してみせる。そのたびにあっと目の前が開けるような、爽快な衝撃が訪れる。  後半には書評も収録。書評というより、本をめぐる著者の人生があちこちににじみ出た、奥行きあるエッセーなのがいい。
    月 人との豊かなかかわりの歴史
    月 人との豊かなかかわりの歴史 月は、人間の想像力をどのように刺激してきたのだろう。ドイツのノンフィクション作家が歴史をふりかえった。現在までに得られた科学的知識をふまえ、豊富な逸話や挿画から人類の意識の奥底をあぶりだす。  北米インディアンの言い伝えによると、狼が歌うと月が生まれたという。古代ギリシアの頃より、月には生命が宿り、人や動植物が地球のものよりはるかに大きく美しく生育する理想郷だと考えられていた。しかし望遠鏡が作られ、精密な月面図が明らかになる19世紀を境に、文学に描かれる月の住人たちは奇怪で凶悪な姿となる。20世紀には、月面着陸の事実そのものを否定するNASA陰謀説まで登場した。月への特有の想いには、人類の時代ごとの夢や希望が映し出される。  18世紀末のベルリンには月頼みの超自然的治療で繁盛していた医者がいて、いかさま師と呼ばれていた。だが、これは意外に科学的で、生命のリズムは月と重なる。新月の直前に切られた木は、細胞内に水分を多く含むため、より頑丈という検証もある。淡い感傷に科学的裏付けがなされる。
    俳句で綴る 変哲半生記
    俳句で綴る 変哲半生記 本の奥付を見ると、「2012年12月20日発行」とある。小沢さんの通夜から6日後だ。最後の本は、40年余りにわたって発表した句集。4000句が発表した順に並び、そのまま半生記になっている。  始まりの句は、「スナックに煮凝のあるママの過去」「寒月や地下鉄工事秋田辯」「ゲバ棒の落ち目の春のにが笑ひ」。昭和44年1月のスタートである。気のあった仲間が月に一度集まり俳句会を楽しんだ。愛猫家であったため猫の句も多い。「陰干しの月経帯や猫の恋」「うるささに追えば七匹猫の恋」。小沢さんは駄句にこそ「私らしさ」が出ていると語る。  間に挟まるエッセイで、小沢さんがあの良寛と薄い薄い血縁にあることを知る。良寛で最も愛する句は「柿もぎのきんたまさむし秋の風」。自然体で、ズバリ、キンタマが出てくるところに惹かれるというのがおかしい。  最後の句は「オイそこはガラスじゃないか夏の蝶」。友と言いたい放題する句会の時間が自分の心をなごませ解放してくれたと振り返る。にぎやかな笑い声が聞こえてくる。

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