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「話題の新刊」に関する記事一覧

えろたま
えろたま 高齢者向けセックス特集をする週刊誌の売れ行きが好調なように、人はいくつになっても性への興味は尽きないらしい。本書は東京スポーツの連載「いろ艶筆」を一冊にまとめたものだ。「女と男の性」や「カラダの神秘」について、極めて真面目に向き合っている。ダジャレ好きで知られる著者らしく、中でもエッセイの随所にちりばめられたダジャレからは、並々ならぬこだわりが感じられる。  伊勢佐木町で異彩を放つ「あ×ひげ薬局」に通い、怪しげな精力剤や潤滑ゼリーに興味を示したかと思えば、人妻と一緒に「潮吹き」を研究すべくDVD鑑賞。フランス文学者である著者らしく、フランスの作家ラブレーが根拠なく主張する、エメラルドには男性器を元気にする効力があるといった話も飛び出す。  単行本化が決まり、ゲラチェックの段階で著者に大腸がんが発見される。それでもナースからネタをもらい、「生命力が右肩下がりの人間に、下ネタはビタミン剤より効く」と語る。エロへの飽くなき探究心と、がん治療を乗り越えて本書を世に送り出した著者に敬意を表さずにはいられない。
ケンポーじいさん、ながいきしてね。
ケンポーじいさん、ながいきしてね。 日の丸に、とぼけた両目と口ひげのついた表紙。本の語り部は今年で67歳になる「ケンポーじいさん」だ。ボウリング・ボールのような赤い球体で写真に登場する。じいさんが日本国憲法だと一目瞭然の児童書だ。  話し相手は、顔中を傷だらけにして泣きべそをかいている近所のイタズラ坊主。じいさんは彼を縁側に招き入れ、ひどい喧嘩をして死にそうになった自らの経験を語り始める。帯には、「なんだ、憲法ってこんなにステキなものだったんだ!」とある。写真集のような作りで、語りには咲き誇るソメイヨシノや日の丸弁当、黄金の稲穂と案山子(かかし)など、懐かしさと微笑ましさの入り混じるカットが添えられる。語りには英訳がつき、巻末には憲法全文が掲載されている。  すべての人が幸せに暮らすには、和の心が大切、とあたりまえのことを繰り返して説くケンポーじいさんからすれば、争い事が絶えない私たちはいつまでも子供じみた存在なのか。著者はクリエーティブ・ユニットで、「キートス」と読む。フィンランド語で「ありがとう」の意味だ。
青い花
青い花 大津波におびただしい命がさらわれたというのに、まるで玉音放送時代の祖国防衛戦争なんて始めたから死屍累々。その荒涼の中を男は歩く。過去現在未来の並行世界を結んでメビウスの輪状になっているらしい鉄路沿いをとにかく、ここではないどこかへ。  男は、ただ歩く。個の意識を捨てられない。ガンバレ日本の集団ヒステリーに同化できない。それで男は群れから離れたのだ。流浪難民の、21世紀の「狂人日記」が本書である。葛藤などないと、すべて亡くしたお気楽を装って書くけど大嘘。思い出と雑感を記す散文詩の文体は寂寞と警世の辞を放散する。  日々行く男の世界は、おおむね暗灰色なのだが時に色が差す。闇に光るゾンビの目玉。放射能の蛍の光、爆弾に焦げる空の黄金色。幻の青い花。シャガール画さながらの美しさに、また寓意を見る。そして旅路の果て。男は、批判精神を眠らせる麻薬を手にする。でも効かない。罵詈雑言の形で炸裂する男の自我。その数々を今日ただいまにトレースするとまさに正論ではないか。めまいを誘う怪作。
性欲の研究 エロティック・アジア
性欲の研究 エロティック・アジア 「まじめに研究して、『パンツ』ということばをどうどうと言いたい」。素朴な願いで約20年前に発足した「関西性欲研究会」。怪しげな名前だが、大学教授などで構成された真面目な研究者の集まりである。同会のメンバーが執筆した日本、中国、韓国の性にまつわる論文やコラム、対談をまとめたのが本書だ。  設立時の願いはとっくに果たされ、もはや研究対象はパンツどころではない。江戸時代の日本人が考える理想のペニスの形状や、中国の女装の美少年「相公(シャンコン)」、韓国の整形事情と儒教精神の関係性を論じるメンバーがいる一方で、日本の包茎手術の背景にある国粋主義に関心を持つ人も。刺激的なタイトルが多いがエロを真正面から論じているからか、不思議と下品さはない。  全編に通底するのは、どうでも良いことにこだわり続ける好奇心。対談では対談相手に「たいていの研究者にとっては、どっちでもいいことだと思いますが」と身も蓋もないことまで言われてしまうが、決してめげない。地道なエロ研究が、東アジア近現代史に新たな1ページを加えた。
対話集 原田正純の遺言
対話集 原田正純の遺言 〈治る病気は簡単ですよ。治らない病気だからこそ、しなきゃならんことがいっぱいあるわけでしょう?〉  水俣病患者の絶大な信頼を受けていた医師、原田正純さんの対話集。原田さんは熊本大学の大学院生のとき「胎児性水俣病」を発表した。50余年にわたり水俣病患者を診続け、さらには、カネミ油症、三井三池炭鉱CO中毒の患者の強い味方でもあった。  自分も食道がん、悪性リンパ腫などと闘ってきたが、2011年秋に「骨髄異形成症候群」と判明、死を覚悟した。15人と朝日新聞西部社会面で対談したのが本書で、『苦海浄土(くがいじょうど)』の石牟礼(いしむれ)道子さん、チッソや国と闘い続けた患者、患者の思いを引き継ぐ2世、記者、医師、法律家などが登場する。 〈認定をしたら、そのままほったらかして、「問題は終わった」と。終わっちゃおらん。患者の症状は進行しているわけです〉  原田さんは2012年6月に77歳で亡くなった。患者や被害者、住民たちが主役の「水俣学」の提唱者で、“遺言”はそのあるべき道を示している。
鳥類学者 無謀にも恐竜を語る
鳥類学者 無謀にも恐竜を語る 恐竜のことをなんで鳥類学者が、と思うだろうが驚くなかれ、鳥の“正体”は恐竜なのだという。その証拠に大昔の、いわゆる恐竜は現在、「非鳥類型恐竜」とよばれ区別されている。鳥類学者で恐竜大好きの著者が、現世恐竜・鳥の生態から恐竜のリアルな姿をあれこれ考えるユニークな恐竜本。  近年、羽毛のある恐竜の化石が次々に発見され、体が羽毛に覆われた恐竜がたくさんいたことがわかってきた。恐竜というのは骨格も見た目も、ゴジラより鳥に近い風体だったらしい。では彼らも鳥のようにカラフルだったのか、羽で求愛ディスプレイをしていたのか。「渡り」のような集団移動をしていた可能性、歩行スタイルや子育ての方法など、鳥類学者が考える恐竜たちの生活は具体性に富む。のっぺりした灰色で、ただのしのし歩いているだけだった頭の中の恐竜が、個性豊かな生き物に鮮やかに書きかえられていく。  一恐竜ファンという立場で、のびのびと想像を広げる著者の筆は実に楽しげ。貧相なイメージや先入観で凝り固まった頭を、ぽんと自由にしてくれる。

この人と一緒に考える

鳥と雲と薬草袋
鳥と雲と薬草袋 鳥や空からの連想をゆたかにふくらませる著者が、49の地名の来歴を随筆に綴った。紹介される土地はどれも、自身が訪れたことのある場所だ。土地の持つ記憶を呼び覚ますように、著者は短い物語を添える。  大分県にある鶴見半島は、ツルの渡りのコースから外れている。昔この半島の沖にいた灯台守が、嵐の夜に光を求めて灯台に激突した渡り鳥の死骸を集め、剥製を作りつづけた。500羽を超える剥製の中にツルはいない。だが、九州の広範囲にツルが渡っていた時代があったかもしれない。「鶴見という名まえが、唯一その可能性の名残だとしたら、わくわくするようで、それから少し寂しい」  熊本県の薩摩街道にある三太郎越(さんたろうごえ)も紹介される。ここは難所続きで有名だが、「太郎」と擬人化することで、長年つきあっても手に負えない家族に対するような愛おしい気持ちが湧く。「その名を口にするたび、昔の旅人が、やれやれしようがない、もうひと頑張りしようか、という気分になってくるのが分かる」。著者の想いやイメージが加わることで、地名は広がりを増す。
刑事の結界
刑事の結界 神奈川県警ノンキャリ刑事が定年を迎えるまでの四十年間に取り扱った事件から、バブル時代の「竹やぶ二億円置き去り」事件など12件の捜査実態を再現していく。その目線は、タイトルの「結界」、つまり、犯人と被害者、警察官と人間という境目に置かれている。叩き上げ警部補は1951年熊本県生まれで、高校卒業後上京し、メーカーの営業マンのあと警察官を選ぶ。捜査畑一筋。いつのまにか一度見た顔は忘れないという刑事の習性が身についていた。  川崎での大手メーカー恐喝事件では、バンかけ(不審者に職務質問すること)ではなく逆に声をかけられた。逆バン、だという。しかし、これによってこの男が犯人だと確信する。「逆バンの島田」と語り継がれていく。厚木でのコンクリート生き埋め事故。工事中だった自衛隊の体育館の天井からコンクリートが大量に落下、何十人もの作業員がのみ込まれた。違法性の立証が難しい業務上過失事件。倒壊のメカニズムを知るため10カ月の勉強に励む。  被害者とその家族、事件を追う刑事の捜査を描くタッチは繊細だ。
フクロウのいる部屋
フクロウのいる部屋 人を殺しも生かしもする言葉とは何かを問い、その言葉でユートピアを築こうと苦闘する劇作家がフクロウと暮らし始めた。闇を透視し獲物を追う孤高の狩人に真理の探究者を重ねたヘーゲルの「ミネルヴァのフクロウは迫り来る黄昏(たそがれ)に飛び立つ」を胸に少年期から憧れたフクロウとの共生が現実になったのだ。  2006年6月、ふ化後まもないアフリカ原産の小型種、赤ちゃんフクロウがやってきた。名づけてコトバ。まだ飛べない。泰然自若のイメージとは真逆のズッコケぶりだ。猫みたいにニャーと鳴く。作家の生活は激変する。ふつうのペットとは違う食餌。糞尿の始末。ブリーダーの助言に学びながらの右往左往。失踪事件も起きた。四十男が半狂乱になって心底無事を祈った9日間。奇跡の生還。  今、作家のかたわらには、ホーホーと言えるようになったコトバがいる。分別臭く相槌を打ちながら、原稿を書く作家の夜に付き合うのだ。予期せぬ出来事連続の明け暮れの記録が本書である。不滅の言葉を求めながら、限りあるコトバのいのちと向き合う著者の内省が行間ににじむ。感動する。
婚活難民
婚活難民 上昇を続ける日本の未婚率。「婚活」という言葉もここ数年ですっかり社会に定着した。本書は独身女性ライターが、婚活に勤しむ女性たち12人への取材をまとめたルポルタージュである。  自分に自信がないから、親の圧力で……など婚活に踏み込む動機は人それぞれで、方法もネットの紹介サービス、お見合いバスツアー、結婚相談所など多岐にわたる。共通するのは、どれだけ男性と会う回数を重ねてもうまく行かないケースが大半ということ。「婚活難民」と化して東奔西走する女性たちの姿が描かれる。  なぜ彼女たちは「結婚」に必死になるのか。親のため、会社のためといった外的要因もあるが、それだけではない。なにより彼女たちは「誰かに愛情を注ぎたくてたまらない」のである。だからこそ男性を見極める視線は厳しくなり、結果、婚活は迷走する──著者が指摘する逆説は胸に迫る。ご祝儀袋をイメージした装丁もタイトルもポップだが、読了後は当事者たちを簡単には笑い飛ばせなくなる。
本当は怖い動物の子育て
本当は怖い動物の子育て パンダは双子を産んでも大きな子しか育てず、もう一方を見殺しにする。サルの一種であるハヌマンラングールのオスは群れのボスになると先ず自分の血が流れていない乳飲み子を殺す。テレビ番組などでほのぼのと語られることの多い動物の子育てだが、実態は虐待や子殺しが横行している。行動の原理となるのは自分の遺伝子のコピーをいかに残すかだけであり、種の保存の意識はない。  たくましいと言えばたくましいが残酷と言えば残酷な動物の一面を描写しているが、我々、人間も実は例外ではない。本書後半で取り上げる最近の育児放棄や児童虐待の事例からは、遺伝子を効率よく残す人間の本能が透けて見える。  とはいえ、「人間も動物の一種」と悲観しても仕方がない。著者は、母親を孤立させないためにも、虐待を前提とした制度を構築する必要性があると説く。常識では突拍子もない意見にも映るかもしれないが、人間は自分たちが思っているよりも本来、理性的ではない。本書はそのことを強烈に自覚させてくれる。
バージンパンケーキ国分寺
バージンパンケーキ国分寺 物語の舞台は「バージンパンケーキ国分寺」。曇りの日にしか営業せず、店に入ると非処女にのみ反応するドアベルがあり、謎めいた女主人「まぶ」が作るパンケーキは「レインボー・エナジー・ソース」や「プライベート・プラネット」といった、不可思議な名前ばかり。魔女に弟子入りした過去を持つという「陽炎子(かげろうこ)」や、幼なじみとその恋人に「三人でつきあおう」と真剣に提案するアルバイトの「みほ」など、店に出入りする面々も個性派揃いだ。  本書に収録されているのは、そんな彼らの来歴や恋愛にまつわる小さな物語だ。決して派手とは言えない人生も、美味しそうなパンケーキがそばにあることでちょっぴり素敵なものになる。まん丸のパンケーキは、恋をしたり傷ついたりしながら生きていくことを、優しく肯定してくれているかのようだ。  「こんもりとしたパンケーキを切るとミントのババロア、ラズベリーゼリー、スポンジケーキ、カスタードムースの層になっていた」……なんとも魅力的なレシピは巻末「まぶさんのパンケーキたち」にまとめてあるので、そちらも是非チェックを。

特集special feature

    漂白される社会
    漂白される社会 原発関連の著作で知られる若手社会学者が新境地を切り開いた。著者は社会の「周縁的な存在」へのフィールドワークをもとに、現代社会の姿を描き出す。  「周縁的な存在」とは法や制度、社会規範と異なる原理で生きる人々を指す。登場するのは例えばマックを寝床代わりにし、携帯電話で連絡を取りながら移動キャバクラを営むホームレスギャル、裏受給マニュアルを通じて得た生活保護費を競馬・競輪に使い自由気ままな生活を送る元会社経営者などだ。かつて、アウトサイダーは服装などその外見を通して判別できた。しかし、彼/彼女らは外見からはわかりづらい「グレーなアウトサイダー」であり、それゆえ社会のなかで出会っても気づかれにくい。「漂白される社会」とは、周縁的な存在に本来備わる「色」がかように失われゆく過程を言い表したものでもある。  長年商業ライターの活動経験がある著者は先行研究を参照し、一見ジャーナリスティックな対象にあえて学術的なアプローチで接近する。その橋渡しに、社会学的フィールドワークの新たな可能性を見た。
    旅立つ理由
    旅立つ理由 ザンジバル、モロッコ、ブラジル、メキシコ、キューバ、ウガンダ……。光彩を放つ土地を舞台に、さまざまな国に暮らしながら文章を紡いできた作家が、21篇の紀行小説を著した。登場する日本人は「彼」ひとりのみ。異国情緒がゆたかに香り立つ。  主人公の「彼」は、ミケランジェロを見に行きたがる小学生の息子の願いを叶えてやろうとする優しい父親だ。イタリアで別行動をとった隙に、息子の描いた絵が広場で売れると喝采し、男同士の祝杯をあげに行く。ところが読み進むにつれ、「彼」の人生には婚姻と離別があり、息子にはアフリカの血が流れ、のちにその息子とも別れてしまい、「ダン」と呼ばれていることがわかってくる。  軍警察が来て、あわれな報酬金額をのまざるを得なかった大道芸人に対する温かいまなざしもあるが、何よりも「彼」の父性が光る。ナイロビにいる妻が出産したとの知らせを受け、しばらくの放浪ののち、発作的に、過去よりも現在が激しく息づいているところへ行きたいと翌日、航空券を買うのだ。人々の笑いが聞こえる至福の読書。
    指揮権発動 検察の正義は失われた
    指揮権発動 検察の正義は失われた 法務大臣が検察の独立性を超越して検事総長を直接指揮できる「指揮権」。戦後、発動されたのは一度だけだが、世間を賑わした「小沢事件」への検察の対応を巡り、昨年、58年ぶりに発動寸前の状態にあった。本書では発動予定の前日に解職された当時の法務大臣の著者が検察の腐敗を糾弾している。  政治家、小沢一郎氏の資金管理団体が収支報告書で会計処理を誤った事件は、検察が会計処理の背後に不正資金があると睨んだことで国政を左右する事件に発展した。結局、小沢氏は無罪に終わったが、世間ではグレーの印象が未だに強い。最大の理由は検事が偽装した捜査報告書の存在に求められる。本書には捜査報告書の全文と隠し録って作成した実際の録音反訳書が収められているが、報告書の8割近くがねつ造であり、開いた口がふさがらない。  組織ぐるみのねつ造を「担当検事の記憶違い」で終わらせようとする検察の隠蔽体質に著者は指揮権をちらつかせたことで、返り討ちに遭うが、自身の解職については多くを語らない。検察が抱える闇は我々の想像以上に深くて暗い。
    すごい人のすごい話
    すごい人のすごい話 著者が「なんてすごい人なんだ」と感嘆した15人のもとを訪れ、インタビューを行う。なんだかシンプルすぎる企画のようだが、インタビュアーが荒俣宏となれば、話は変わってくる。博覧強記の人である荒俣。その彼が会ってみたいと切望する知的巨人たち。どんな人なのだろう。何を話すのだろう。ハイレベルな会話にわれわれ読者はついていけるのだろうか……何やらただならぬ本である。  しかし、変に構える必要はない。小気味よいテンポでトークは進み、ときに笑いさえ起こる。「鈴木晃さんと発見するオランウータンの高度な社会」では、志賀高原の地獄谷温泉に入るニホンザルを「私が最初に見つけたんです」という衝撃の告白が飛び出し、「板見智さんと検証するハゲの噂」では「髪がつくられるのは頭皮の表面から7~8ミリ奥で、シャンプーはそんなところまで届きません」とバッサリ。話題は多岐にわたり、まったく飽きさせない。すごい人の苦労話はたくさんあるが、すごい人の愉快な話はなかなかお目にかかれない。その意味でも本書はやはりただならぬ本なのである。
    多助の女 盗賊火狐捕物控
    多助の女 盗賊火狐捕物控 評判の美人を商家につとめさせ、知らずに手引きをさせてはあっさり殺す。胸元に狐の絵を残していく。3人の娘の命を奪った盗賊団「火狐(ひぎつね)」に江戸は騒然となる。  しかし事件には矛盾が多い。  奪った金は少なく、恨みの形跡もない。主人公の同心、大沢源之進は4度目の犯行を察知、現行犯で盗賊団を捕まえたものの、腑に落ちない。そこに“真犯人”が浮上する。火消し「は組」組頭、多助は26歳で長屋の一人暮らし、足繁く通う女がいつもいる。追及をきわどくかわしつつ、  「火狐の一件は旦那の読みが多分いちばん正しいんですぜ」  と、意外な真相にたどり着くまで、源之進を翻弄する。  著者は2010年に松本清張賞を受賞した。受賞作の『マルガリータ』は天正遣欧少年使節の一員、千々石(ちぢわ)ミゲルの棄教と妻を描き、本作が4冊目。著者が受賞したとき、「ペンネームに『嵐』の字が入っていますが、京都を走る小さな私鉄、嵐電(らんでん)のように、私もコトコト走っていきたい」と語っていた。その走りはしっかり軌道に乗っている。
    女子の遺伝子
    女子の遺伝子 よしもとばななと、母子保健の研究者の三砂ちづるが、女の身体、お産から育児、母と家について語り合う。庭の縁台に腰をかけて話しているような温かみある雰囲気がいい。  三砂は、出産について、ぎりぎりまで本能を発現させる場として助産院をすすめる。日本の助産婦は世界一で、世界遺産にしたいくらいだという。母の最期について、ばななは話す。母は退院し、すぐに好きな酒と煙草を断った。その日から死は早かった。「やっぱり人間は楽しいことがないと生きていられない」。そして子どもが生きていくために必要なのは「楽しさ」だという。  タイトルの「女子の遺伝子」は、父・吉本隆明のことばから。戦前も戦後も進歩的な女性はたくさんいて、家事はやらないとか、ご飯はつくらないとか、子どもを産んでも知らないとか、いろいろトライしたが、基本的にうまくいかなかった。それは遺伝子問題だからだと。それは一理あるとばなな。最後に父からいわれたのが、「並びなきいい家庭を作るというのはすごい、すばらしい小説を書くのと何も違わない」。感銘を受ける。

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