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「話題の新刊」に関する記事一覧

ひとりごと絵本
ひとりごと絵本 著者は及川賢治と竹内繭子によるユニットで、これまで多くのイラストや絵本を手がけている。彼らの最新作は、及川がTwitterに投稿した言葉に、可愛いけれど、どこかへんてこなイラストが添えられたものだ。絵本とはいえ、240ページもあり、ところどころに小さなメモ用紙のようなページが綴じ込まれるなど、造本に遊び心があってめくるのがとにかく楽しい。  及川のつぶやきは、シンプルだが独特である。「薬の説明書は開封したとたんに顔を出してくる。目立ちたがり」「猫って影までかわいいなぁ」「販売機でジュースを買うと隅っこにばかり出てくる。あんなに広いのに」……なんだろう、このじわじわくる感じは。まるで現代の尾崎放哉か種田山頭火かといった趣があるではないか。子どもと大人の感性を自由に行き来する振れ幅がこの世界観を作り上げている。生活の中にあるちょっとした気づきと考察は、浅いようで案外深い。その意味で本書は、肩肘はらずに読める大人のための哲学絵本と言えそうだ。
中国人民解放軍の内幕
中国人民解放軍の内幕 中国問題のジャーナリストによる中国人民解放軍(解放軍)の解説書である。尖閣諸島領有をめぐる日中の緊張関係は、戦争への懸念をもたらしている。なれば関心が向かうのは解放軍だが、実態がわからず単純な見方で捉えられがちだ。  本書は解放軍への複眼的視角を培うことを狙いとし、解放軍の意思決定メカニズム、個別部隊の役割など具体的なシステムを子細に解説してゆく。たとえば組織内の実質的権限を握るのは陸軍・総参謀部である。心臓部の総参一部は有事の際には各司令部へ命令を下す。単なる上意下達式のようだが、組織内に「絶密」級とされる独自の研究機関が存在し、総参謀部を情報分析面で援助しているのだ。  解放軍はその秘密主義ゆえに不安を煽りやすい。しかしマスコミには接触を拒んでも、ビジネスマンには懐が緩み、特別待遇を施すこともある。著者が述べるように「真に警戒が必要な中国もあれば、そうでない中国もある」側面を知ることで不安は和らぎ、隣国への冷静な見方が養われるだろう。
資本主義の「終わりの始まり」
資本主義の「終わりの始まり」 ギリシャやイタリアの経済危機を経済的な視点から論じている本はいくつも出ている。本書もその類かと思いきや、まったく違った。なにしろ、冒頭に登場するのはギリシャの映画監督、テオ・アンゲロプロスである。  「いまは未来が見えない。そして誰もが大きな待合室でチェスをしながら、扉が開くのを待っている。(中略)ここ地中海圏が、扉を最初に押し開こうとするだろう」。この高名な映画監督が著者に直接語ったこの言葉の詳細はわからないままだ。著者が「詳しく聞きたい」と質問を託した矢先、彼は交通事故で死んでしまったのだ。  そこから、「扉を開く」とは何か、を問う著者の旅が始まる。ギリシャ、そしてイタリアで人々と対話し、歴史家や哲学者、社会学者らの言葉に耳を傾け、扉の向こう、すなわち資本主義の先にあるものを探るのだ。  その問いは、意外にも小津安二郎に着地する。本書には経済的分析やジャーナリズムを超えた深い「人文的思考」があり、読者は、それに身を委ねつつ思索に耽ることになるだろう。
黄色い水着の謎
黄色い水着の謎 三流のはるか下をゆく「最底辺大学」たらちね国際大学に勤めるクワコーこと桑潟幸一は、食べるためにザリガニを捕獲し、資源ゴミ回収日に雑誌を入手、ボーナスは「量販店の値札みたいな数字」の49800円だ。徹底した下流ぶりは、もの悲しさを通り越し、もはや爽快ですらある。金はなくとも知識と教養はあるのかと言えば、答えはノー。このユーモア・ミステリーにおいて、ないない尽くしのクワコーは、主人公でありながらほぼ出番なし。彼の研究室を根城にしている個性派文芸部員の面々が事件解決に向けて活躍するのだ。しかしながら、所在なさげなクワコーがいないと物語が始まらないのもまた事実。  収録作品は「期末テストの怪」「黄色い水着の謎」のふたつ。後者は水着紛失事件をめぐるストーリーと並行して、やけに本格的な装備で海に潜り、魚介類を捕獲する「漁労部」が描かれる。そして獲物を煮込んで作るブイヤベースの旨そうなこと……。毎夏かならず漁労に勤しむという作者だから書ける漁労メシの魅力も味わって欲しい。
だまし食材天国
だまし食材天国 消費者に誤解を与える食品表記などの問題を論じた本である。例えば、安い煮穴子の原材料にマルアナゴ、とあったら、それは、日本人が食べてきた穴子とは違う、ウミヘビ科の魚だ(しかし本物のウミヘビは爬虫類で、当然ウミヘビ科の魚ではない)。  「サケの切り身」と言っても、サケ科には11属あり、味もピンキリ、加えて石油から合成されたアスタキサンチンで身が着色されたニジマスがサーモンとして店頭に並ぶこともある。  JAS法の生鮮食品品質表示基準、水産庁の魚介類の名称のガイドラインにはいくつもの抜け穴があると著者は指摘する。加えて学者たちが付ける統一感のない和名が混乱を助長する。そういった問題点を平易に解説しつつ、医師である著者は、肉類の感染症や寄生虫の可能性もしっかり指摘する。  読みやすい語り口で、食材をめぐる「騙し」の手口がすんなりと頭に入ってくる。加えて、食品に関する基礎的な知識を得ることもできる。スーパーなどでの表示に騙されないために、一読をすすめたい。
都会の星
都会の星 光溢れる街中で星が見えるはずがない、と思う人は多いだろう。いや、忙しい日々に追われ星の存在すら忘れているかもしれない。そんな人にお勧めなのが本書だ。  六本木、銀座、大阪・道頓堀。都会の真ん中で煌めくネオンと共に星々がくっきり光跡を描く。銀座4丁目交差点では和光ビル時計塔を中心に北天の星が回り、お台場では冬の大三角がビル群を見下ろす。圧巻は表紙に使われた東京タワーの写真だ。約12時間の露出によって同心円状に広がる星の軌跡を背景に、屹立する東京のアイコン。めまぐるしい時を生きる人間を悠久の時を刻む星が静かに見守るようで、温かな気持ちになる。  撮影したのは朝日新聞記者。小学生の頃から天体写真を撮影し、小惑星探査機「はやぶさ」帰還の写真で2010年東京写真記者協会賞特別賞を受賞。数秒~数十秒の露出で連続撮影した数千枚の画像を「比較明」という手法で合成する第一人者だ。星占いで人気のライターが短文を添える。宇宙は常にそこにある。見なれた景色が違って見える。

この人と一緒に考える

倭人伝、古事記の正体
倭人伝、古事記の正体 邪馬台国はどこにあったのか。因幡のシロウサギ伝承はなぜ出雲なのか。本書は歴史や神話の舞台を実際に歩き、そこに眠る謎を解き明かそうと試みる。  興味深いのは、一見、相反する二つの書物を取り上げている点。中国から見た日本の様子を淡々と記述した『魏志』倭人伝、神話化することで歴史事実を曖昧化した『古事記』。当時の国家権力の介入が少ないからこそ、事実が見えやすく、実際、関連する多くの風景や遺跡、出土品と出会う。  大量の青銅器が出土した「出雲」では、鉄や勾玉の原料が豊富なこと、またそれを加工する生産技術が発達していた事実を知る。ものづくりを軸に独自の交易を続け、ヤマトを脅かす経済力を築いていたのだ。日本海の先の顧客に向けて、地道に技術を磨いていた職人が日本の礎を築いたと思うと感慨深い。  古代日本には、我々が想像するよりもはるかに活力に満ちた人々が生きていたことがわかる。彼らの残した息遣いを追い、ロマンと名のつくひとつの「真実」に出会う著者の旅に同行してみては。
わが家の闘争 韓国人ミリャンの嫁入り
わが家の闘争 韓国人ミリャンの嫁入り 「結婚しないと帰っちゃうよ」  軽い気持ちで訪れた日本で出会った、運命の男性。交際3カ月で彼を脅して(?)、晴れて結婚した韓国人女性の著者。しかし、事あるごとに夫に不満をぶつけまくる。隣国でありながら、日本という全く異なる環境で感じた文化の違いが多すぎるからだ。  韓国なら屋台や出前で食べたいものがすぐ食べられるのに! 結婚式のご祝儀が3万円なんて高すぎる! 韓国人が自分の国を自慢して何が悪い? 日本人同士より、韓国人同士の恋愛の方が甘~いのに……。  著者のストレートな疑問や不満の矢面に立つのは、日本人の夫。強気な妻に押され気味ながらも、「日本じゃこうなんだから」となだめすかしたり、時には反論することも。本文欄外にある、夫のつぶやきが笑いを誘う。  日々“闘争”を繰り返す二人。「交際当初から甘いどころか、何の味もしなかった」とけなしつつ、「うちの夫が一番かわいい」とのろける著者。喧嘩するほど何とやら。なんだかんだ言いつつ、二人はとても幸せなのだ。
怒る!日本文化論
怒る!日本文化論 統計資料を使って常識を切りまくる、「自称イタリア生まれ」の覆面学者の新作。今回、物を申すのは「怒らない日本人」について。電車内でマナーの悪い人に遭遇しても見て見ぬふりをする人は少なくないはず。「昔は皆、道徳を持ち合わせていた。ガツンと叱ってくれるおじさんもいた」と嘆く声が聞こえてきそうだが、大正時代の新聞をひもとけば、マナーの悪さを注意できずに投書欄で憂さを晴らしていた人がいかに多いかがわかる。痰やゴミをまき散らすなど今や絶滅危惧種の乗客が幅を利かせていたし、当時から寝たふりをして老人に席を譲らない若者も珍しくなかったのだ。「昔は良かった」幻想を打ち砕き、昔から日本人は見て見ぬふりをしていたという事実を暴く様は痛快だ。  世間の通説を鮮やかに覆す前作までのスタイルを維持しながらも、本書では自らの体験を踏まえて他者を叱るための実践論を提示して、人に任せるだけでは社会は変わらないと説く。軽妙さを売りとしてきた著者らしからぬ意外なメッセージだけに、妙に説得力がある。
ウィズ・ザ・ビートルズ
ウィズ・ザ・ビートルズ 「僕は日本武道館でビートルズを見た、生き残りのひとりである」と記す著者は、ロック雑誌「ロッキング・オン」の創刊メンバーであり、元プロ・ミュージシャン(これが肝心)の作家だ。本書は、ビートルズを音楽の「北極星」と位置付ける著者が、そのアルバム14枚を、自らの青春を織りこみ語ったもの。上質の文章。鵜呑みにしてよいデータ&エピソード。マニアから小学生までが楽しめる読み物となっているが、当時ビートルズに無知無理解な輩共への「怨念」は深く、ときに古傷(ページ)から血が噴きだす──「しかし、僕達は負けなかったのだ」。それだけビートルズが著者の思春期の「肉と霊」だからだろう。  著者は、ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンにインタビューした際、「僕の父はギャング・スターで、僕もそうなっていたかも知れません。だけど、ビートルズを聴いて、拳銃を撃つよりもギターを弾くほうが素晴らしいということを知りました」と語る。そのウエットでいて「すっとぼけた」表現こそが、まさにビートルズ流だ。
映画プロデューサー風雲録
映画プロデューサー風雲録 昭和29年に松竹大船撮影所に入社して以来、映画製作にたずさわってきた名物プロデューサーが、映画スターや監督たちのエピソードや製作の裏話を語る回想記。  私生活を一切語らず、周囲は彼が結婚したことすら知らなかった渥美清、激烈な存在感ながら演技はでくの坊だった渡哲也などスターの素顔も興味深いが、個性強烈なのは監督たち。女性映画で有名な原研吉は撮影中に酒を飲み、しばしば愛人宅に抜け出す。松竹ヌーベルバーグの旗手、大島渚は大物監督を「不要」と切って捨てた過激派だが、現場をまとめ上げる天才的オーガナイザーでもあった。松竹三巨匠の一人・渋谷実はエゴのかたまりで、著者は彼の理想と我儘に振り回された。衝突と怒鳴りあいを繰り返した製作現場は壮絶の一言に尽きる。  時代に取り残され消えていく映画人たちの姿も容赦なく描写、才能がぶつかり合う弱肉強食の世界を生々しく映し出す。そこで生き抜いてきた著者も一筋縄の人ではない。名の残る仕事をしようという野心と時代の熱気が行間にあふれている。
色気も濃すぎちゃ 野暮でげす
色気も濃すぎちゃ 野暮でげす 江戸時代安政年間、庶民に親しまれた流行歌である端唄から派生して生まれた小唄は現在まで歌い継がれてきているだけでなく、今も新曲が発表されているという。著者はその小唄の扇派2代目家元。テレビ、ラジオなどで古典の魅力を伝えるほか、シンセサイザーを加えた現代的な小唄の新曲を発表するなどして、精力的に小唄の魅力を発信している。  粋でイナセな江戸情緒が盛り込まれ、短い曲のなかに伝統的な邦楽の全ての芸のエッセンスが凝縮している、と著者は言う。小唄の創始者、清元お葉の唄を紹介しつつ、その始まりをひもとき、三味線と唄の「間」について、人を艶やかにし、ダイエットにもなるという小唄の効能、自身の修業時代や、「芝居小唄」の創始者である吉田草紙庵の逸話などが記される。  さすが、語り口がよく、するすると読める。特に、著者自身が小唄を引きつつ、江戸の情景を語った文章がよい。それを読みながら、付属CDの「小唄江戸巡り」を聞き、時空を超えて江戸の町への散歩に出かけるのもオツなものだ。

特集special feature

    鳥学の100年 鳥に魅せられた人々
    鳥学の100年 鳥に魅せられた人々 「日本鳥学会」が設立されて百年。日本の鳥学を築いた人々と研究の軌跡をジャーナリストが一般向けに書いた。  鳥類学は東京帝国大学動物学教室の飯島魁(いさお)によって始められたが、華族などの私財で研究が続けられたため、「貴族の学問」とも呼ばれた。国内外の現地調査と、標本などの保管に広いスペースが必要でお金がかかるのだ。  鳥学者の自由奔放ぶりがおもしろい。初代会頭の飯島は、寄生虫学や海綿の研究で成果をあげたほか、「日本の水族館の父」とも呼ばれる多才な人で、鳥学の分野では日本初の鳥類図鑑を刊行した。2代目会頭の鷹司(たかつかさ)信輔は「鳥の公爵」と呼ばれ、目黒の鷹司邸では大きな禽舎でインコやオウム、キジなどが飼育されていた。そこでの観察を『小鳥の飼い方』などの本にまとめ多くの人に読まれた。3代目会頭の内田清之助はツバメの研究で知られ、農業害虫の増大防止に鳥が貢献していることを早くから呼びかけ、鳥類保護運動の始祖といわれている。近年の鳥学の成果も紹介され、学究の歓びが伝わる。
    マリリン・モンロー 魂のかけら
    マリリン・モンロー 魂のかけら 「20世紀を代表するセックスシンボル」であり「おバカな金髪娘」……マリリン・モンローという名の辞書には「知性」の2文字が存在しないかのようだ。「セクシー=おバカ」。このあまりにもわかりやすいイメージ戦略によって、ノーマ・ジーンという女性は、女優マリリン・モンローとして大成功をおさめ、そして死んでいったのである。  しかしながら、彼女が遺した大量の自筆資料がそのまま収録された本書を読んでゆくと「おバカ」イメージは遠くの後景へと退いてしまう。ホテルのメモ用紙やノートに綴られる手書きの文字は、どこか神経質。書いては消され、順番が入れ替えられ、つねに逡巡を繰り返しながら、完成に向かってゆく様子は生真面目そのものである。そして、たった一行「having a sense of myself」(自分がマリリンだって感覚を持つこと)と書かれたページからは、マリリンであることと引き換えに抱え込んだ、言いようのない孤独と不安が匂い立つ。ここには、間違いなくわたしたちのまだ知らないマリリンがいる。
    子どもたちの一〇〇の言葉
    子どもたちの一〇〇の言葉 「子どもには100の言葉がある(中略)けれど99は奪われる。学校や文化が頭と体をバラバラにする」  これは、子どもたちの創造性を育む幼児教育法として世界的に評価されている「レッジョ・エミリア保育」の創設者の1人、マラグッツィの詩の一部だ。その詩から表題を取った本書は、写真や絵をふんだんに使い、その幼児教育の実際の現場を詳しく紹介した1冊である。レッジョ・エミリアは北イタリアの小さな町。第二次大戦直後に、町の人々が力を合わせ、幼児教育の場を作ろうとしたことから、その実践が始まり、いまやこの町の幼児教育は世界一の水準に至ったという。  子どもたちの想像力を尊重し、子ども同士の対話を重視し、体を動かし、木の実や貝殻、金属片や針金などを用いて、手を使って表現することで、創造性を育むその手法は、実に楽しく、加えて、もはや一つのアートにもなっている。原書の出版は16年前だが、この日本版の造本は非常に美しく、その内容は今、まさに読まれるべきものであろう。
    足軽の誕生 室町時代の光と影
    足軽の誕生 室町時代の光と影 応仁の乱の後、京の都は荒廃し、そこには博打に明け暮れる「ならずもの」である足軽がどこからか湧いてきた。本書では足軽がなぜ誕生したかを議論の出発点に「空白の時代」とも呼ばれる15世紀の日本の実態を明らかにする。政治的、風俗的な側面だけでなく、経済の視点から室町時代の歴史を考察している点が興味深い。  地方の荘園の支配形態の変化から、居場所を失った人や金が一気に京に流れ込んだことで都は大きく変容する。当然、その背景には公家や武家の莫大な利権を巡る争いがあった。著者は資料を丹念に読み解くことで、足軽の出現が複雑な政治力学の落とし子であることを示す。  都が荒廃し、戦国時代に突入していく直前の当時の先行き不透明感は現代と通じる。有力な武家に対しても歴史に埋もれた足軽に対しても変わらない著者の目線の低さが、本書を室町時代の政治史に終わらせず、現代をも照らす。揺れ続ける政治に翻弄され、漂流する足軽が現代の我々庶民の姿と重なって見えてしまうのは気のせいではないだろう。
    夜の虹の向こうへ
    夜の虹の向こうへ ハワイでは夜に現れる虹は「最高の祝福」だと捉えられてきた。珍しい“ナイトレインボー”に魅せられた自然写真家が、虹を求めて世界を巡る旅と、そこで出会ったハワイ先住民の叡智をつづるフォトエッセー。  闇の中にぼんやりと浮かび上がる夜の虹は、実に幻想的。遭遇の経緯も不思議なもので、著者は夜中に突然予感がして出かけていくと、そこに虹があるということを何度も経験した。まるで自然の意思が働いているかのようだったという。  夜の虹を教えたハワイアンはヒーラーで、人の病気の原因は心そのもの、たとえば怒りの感情だと語る。彼らの間では虹の7色は肌の色の違いを表し、虹は異なる民族が共存する平和な社会の象徴でもある。その哲学に一貫してあるのは「感謝と赦し」だ。  著者は電子工学を学んだあと自然写真家になった変わり種だが、科学一辺倒にも神秘主義にも走ることなく、目にした奇跡に素直に感動する。大いなる存在に素朴に敬意を払うことは、心に浄化をもたらす。世の争いを絶つ力はここにあるのかもしれない。
    アメリカを占拠せよ!
    アメリカを占拠せよ! 世界的な言語学者であると同時に、社会の不正に声をあげる知識人として名高い著者が、昨年以来のオキュパイ運動に応じておこなった講演やインタビューを集めた一冊。「1パーセント」の富豪ばかりを守る世界に対して「99パーセント」の一般市民がウォール街を皮切りにアメリカ中で抗議行動を巻き起こした。この前例のない事態を前に、今年で84歳になる著者は、現在の社会がどのようにつくられたのか、どうすればよい方向へ変えられるのかを穏やかに語りかける。  アメリカの経済は1970年代に大きな転換期を迎えた。製造業の利益率が下がり、国外での生産が主流になるとともに、国内では金融部門が急激に力をつけ、そこへ富が集中する。政治はこの流れと結びついて、ごく一部の大企業にのみ有利な政策を推し進めてきた。著者は60年代に無名の人々が始めた公民権運動が大きなうねりとなった経緯を示して、普通の市民が自らの手で世論を変え、政治を動かすよう励ます。デモの現場を捉えた写真が臨場感を添える。

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